私は原子力発電に断固反対というわけではない。しかし、日本での惨事が明るみである今、政治家たちが沈黙を保っていることは理解し難い。
面白い題名の本がある。
「恐れの科学」
「恐れの学問なんてあるのか?」などとすぐに言わないように。サブタイトルはもっと興味深い。
「恐れる必要のないものを恐れて、自分を危険に晒している」
矛盾していないだろうか?
今、「恐れる必要のないものを恐れたとしても、なぜ自分を危険に晒したことになるのか?」と皆さんは心の中で考えたのではないかと思う。
本を最初に手に取ったとき、私もそう思った・・・。
しかし待ってくれ、長いこと「恐れ」について取り組んでいるアメリカ人研究者のダン・ガードナー氏は、本の中でいくつもの例を挙げて説明している。
そもそも、本の内容を要約すれば、恐れと現実の間の断絶あるいは不一致、それにこの不一致が原因でもたらされる危険を指摘している。
例えば、アメリカでの9.11の後、多くの人々が飛行機に乗ることを恐れたという。ガーナー氏は「だが」と続ける。「アメリカでもし万が一毎週飛行機1機がテロの標的になったとしても、月に平均1回飛行機に乗る人が、1年以内に命を落とす確立は13万5千分の1である。
では、特別な事情なしに、車で命を落とす確立はどの程度だろう?
6千分の1である。
考えてみてほしい。毎週9.11のような飛行機テロ事件が起きたとしても、普通に陸路を車で移動中に起こる事故の確率には全く及ばないのだ」
しかし、この統計的数値を示してみても、誰も納得してくれない・・・。
9.11の後、飛行機を利用する人の数が劇的に減ったことを思い出してほしい・・・。
では、飛行機の利用が減るとなると、人は移動をしないのか?
ガードナー氏はこの問いへの答えにも注目した・・・。
9.11の後、車の事故のよる死者数が前年平均と比べてどれだけ違いがあるかを調査した。
面白い結果が出た・・・。
9.11後の車の事故による死者数は、前年と比較して1595人多かったらしい。
つまり、9.11後の車の事故の死者数の増加分は、9.11テロ事件での合計死者数の半分以上にもなるのだ・・・。
9.11事件で墜落した飛行機に乗っていて亡くなった人の数の6倍である。
まさにこの理由から、ガードナーは、9.11後に飛行機を恐れて陸路を選択し、前年平均以上の死者を出したことについて、「この人々を死に追いやったのは、本当は交通事故ではなく恐れなのだ!」と言う・・・。
ガードナー氏の目的は、恐れを軽んじることでも、私たちの存在を前提として恐れに戦いを挑むことでもない。
正反対だ・・・。
人というものは、実際は恐れのおかげで、今日も存在し続けているのだ。
脳の構造や遺伝子コードがこのようになっているのだ。
惨事に直面すると、すぐに脳の本能的な部分が動き出すのだ。
脳の分析を司る部分は、ずっと後に動き始める。そのため、人は科学的データや統計ではなく、恐れによって作動する本能に耳を傾けるのだ
なぜこんな話をしているかというと・・・。
日本で起こった原子力発電所事故、まだその規模は明らかではないが、事故後すぐに世界中が原発事故を恐れるようになった。
このため、昨日までは原発にそれほど反対していなかった人々でさえも、今や原子力発電所に対し懐疑の目を向けている。今こうした状況の中、原発事故で亡くなる人の割合と化石燃料の廃棄物で亡くなる人のそれを比べたとしても、何の意味もない。
「原発事故で亡くなる人の割合は、化石燃料を産出する際に亡くなる人の割合の1000分の1にも満たない」と言ってもいいだろうが・・・(何の意味も持たないだろう)」
まだ事故が起こったばかりの時は、どれだけ科学的統計の数字を並べても無駄である、人の脳の本能に基づく「辺縁系」が働いているからだ。
そうした時は、飛行機よりも車を利用すること、原発に近い地域に住むよりも炭鉱で働くことのほうが、より安全に思えるのだ。
まさにこの矛盾を、ガーナー氏は「恐れの科学」と呼ぶ。
トルコは「恐怖政治」を数多く経験した。共産主義やイスラム(シャリーア)国家への恐れを、今や笑い過ごしている。
しかし、イデオロギー的な意味での恐怖政治がほぼ終息したとしても、政治家が人の本能、つまり「辺縁系」に由来する恐れを真剣に受け取らないということは理解できない。
私は原子力発電に断固反対というわけではない。
原発ということに関し、トルコは遅れをとったとさえ思っている。
しかし、日本で大規模な原発事故が起こっている今、トルコの政治家たちがあたかも何もなかったかのように振舞っていることは、正直言って理解しがたい。
だから、タネル・ユルドゥズ・エネルギー大臣を始めとして、全ての政治家に「恐れの科学」を読むよう薦めたい・・・。
偉大なるナーズム・ヒクメトはその詩の中で何と言っていたか?
「死を恐れることは恥ではない、死を考えることも恥ではない・・・」
(本記事は
Asahi中東マガジンでも紹介されています。)
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( 翻訳者:津久井優 )
( 記事ID:21870 )