イスタンブルのノールーズ祝祭、10万人参加―PKK「制服」での参加も
2011年03月20日付 Milliyet 紙
カズルチェシュメ広場では警察が朝早くから厳重な警備にあたった。広場への道は7時半以降通行止めとなった。広場に集まった人たちは荷物検査をされた後、中へ入れられた。厳重なチェックを通った市民たちが持ち込んだ横断幕も調べられた。警察によると祝祭には10万人以上の人が参加した。祝祭の中で平和民主党のセラハッティン・デミルタシュ党首はあいさつの中で公正発展党政府を非難した。
全員同じ服を着て会場の注目を集めた集団の服や、クルド労働者党(PKK)のシンボルとなった靴も注目を集めた。
平和民主党といくつかの市民団体によりゼイティンブルヌにあるカズルチェシュメ広場で行われていた「ノールーズ祝祭」が終了した。
祝祭は平和民主党のセラハッティン・デミルタシュ党首とウフク・ウラス議員、セバハト・トゥンジェル議員がステージの前に置かれた全長約3.5メートルのたいまつへの点火で幕を開けた。その後テロ組織のリーダーからのメッセージが読まれた。
平和民主党のセラハッティン・デミルタシュ党首は、クルド語で、参加者たちのノールーズを祝いながら話し始め、2011年のノールーズは全ての人にとって歴史的なノールーズとなるだろうと語った。
デミルタシュ党首は、一時期トルコでノールーズの火を灯すことさえも禁止されていた事に触れ、「しかしノールーズは、ノールーズに抵抗する人々のおかげで、ノールーズの灰から再びノールーズを創造する自由の祝祭へと変化した。このため、全ての中東の人々の自由と自由化の祝祭として歴史に残るノールーズとなるのです。2011年のノールーズは、トルコにおけるクルド問題の平和と民主主義のための解決へ向けた出発点とならなければいけません。2011年、トルコの最も根本的な問題はもう解決されなければなりません。2012年にはトルコのクルド問題はなくなるのです。政府がこの声に耳を傾けるか、国民が自由へ向けて歩みだし、自分の解決策を自身で生み出していくかのどちらかです。2011年のノールーズは、自由のノールーズであり、解決のノールーズなのです」と語った。
デミルタシュ党首は、「もし本当に解決の予定があるならば、本当に民主的解決策に関し、彼らの手に一つでも具体的な計画があるならば、国民の前で発表していたでしょう。しかし彼らにこのような考えはありません」と述べ、次のように続けた。
「私たちは誰かと取引をしているわけではありません。私たちの問題は取引されえないほど重要なのです。みなさんは商人のように考え、全てを金で売り買いされるものだと思うかもしれません。しかし私たちにとって取引はあり得ません。我々はこれからトルコで最も重要で、歴史的な選挙を迎えます。2011年選挙は私たちにとって単なる議席争いではないのです。次期選挙は、私たちが民主的な国民ブロックを中心に一体となり、『我々だってこの国にいる、我々は多数派であり、少数派ではない。我々はエリートたちに対する、私たちを迫害しようとする人たちに対する、トルコで最も大きな勢力である』という事を明らかにするには、歴史的な好機なのです。
もしも『母親を泣かせるな』と言うのでしたら、首相がこの件に関し誠実ならば、そのクルド人の若者たちには母親がいないといえるのでしょうか?もしあなたたちが本当に母親たちの涙を止めようとするならば、どうして軍事作戦をやめないのですか。もしあなたたちが平和に対し誠実ならば、今日イムラルでの、オジャランとの対話は、私たちにとっても重要です。私たちも支持し、支持の呼びかけを行ってきた(クルド問題解決の)プロセスなのです。
あなたたちが、『我々は一方で対話、一方で協議を行っている。他方では、軍事作戦や政治活動による清算政策を行っている』と言うのなら、あなたたちには解決できません」
ウフク・ウラス議員は、ノールーズ祝祭が全ての人の心に光を灯す事を願いながら、「平和、平等が実現しますように。人々が皆兄弟となりますように。このノールーズでまた私たちは平和を唱えますが、彼らは戦争を唱えます。私たちは話し合いを唱えますが、彼らは作戦を唱えます。政治の場で解決しようではありませんか。ノールーズで差し出されたこの手を、かならずやしっかりと握らなければなりません。もはや戦争ではなく、政治により問題を解決しなければなりません。私たちはこれを信じきっています。だから全ての国民に、選挙で民主的なブロックの候補を支持するよう呼びかけているのです」と語った。
祝祭ではセバハト・トゥンジェル議員もあいさつをした。
取材ノート
ノールーズ祝祭が行われたカズルチェシュメ広場では、イスタンブル警察署の警官隊により朝から大規模な警備がしかれた。
屋外集会のため、道路の一部は10時以降通行止めとなった。デモが終わり、参加者たちが解散した後、通行止めは解除された。
警官隊の柵を越えた参加者の一部は話の途中でステージに上がり、テロ組織の旗と、テロ組織のリーダーの写真が描かれた横断幕を広げた。その時、演壇の前で短い騒ぎが起こった。
デモが行われた一帯にある倒壊の可能性がある2つのモスクの上に登った参加者たちは、関係者たちに注意を受けた。
この会場には仮設トイレが設置され、飲食物のスタンドも設けられた。会場の一角では参加者たちによりノールーズの火がたかれた。
デミルタシュ党首とトゥンジェル議員は祝祭の後、カズルジャチェシュメ広場からアブディ・イペクチ・スポーツセンターの前まで参加者たちと共に歩いた。
祝祭は広場でのコンサートの後、終了した。
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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:21879 )