コラム:リビア、飛行禁止という罠
2011年03月20日付 al-Quds al-Arabi 紙
■飛行禁止という罠
2011年03月20日『クドゥス・アラビー』
【アブドゥルバーリー・アトワーン】
たいそうなプロパガンダを伴い、リビア各地の都市にアメリカのミサイルが降り注ぐ。その光景に、かつて2度行われたイラクへの「絨毯」爆撃を思い出さずにはいられない。最初は1991年初め、クウェイト解放との名目で、次は丁度8年前の2003年3月、大量破壊兵器を何とかするという口実で行われたものだ。
もちろん国際社会は、そのような一視聴者の立場にたつわけにはいかない。ムアンマル・カッザーフィー(カダフィ)大佐とその息子たちの軍勢が情け容赦なくリビア国民を殺戮しているのだから。しかし、アラブ革命のあるものは庇護すべく軍事介入し、他は全く無視するという欧米の依怙贔屓には、ちょっと立ち止まって考えざるをえない。
合衆国は、英仏ならびにアラブ連盟の支持、そしてカタールとUAEの参加を得、リビア市民を守るためとして、地中海上の戦艦からまず112発のクルーズミサイルを発射した。しかし、このミサイルが殺戮した民間人もまたリビア市民である。カッザーフィー一味の手で殺されるのはだめで、アメリカのミサイルならいいのか?
誤解されぬよう言っておくが、他の全てのアラブ革命と同じように、我々は初めからリビア革命を支持していたし未だ支持している。そして、カッザーフィー大佐の政権をリビア史のなかでも最悪だとみなしている。大佐の腐りきった息子たちが、傲慢に国民を威嚇する光景を見るたびに吐き気をもよおす。リビアは自分たちの農場で国民は奴隷だとでもいうように、彼らは好き放題に国の財を強奪してきた。しかし、この欧米による軍事介入がリビア国民のために行われたとは全く考えられない。それは、リビアの石油その他の富のために行われたのだ。そうでなければ、どうして世界は、目の前で行われているイエメン国民の虐殺に沈黙しているのか。イエメンに石油がないからか。イエメン国民は、パレスチナやレバノン国民同様、庇護に値しないのか。あるいはその両方か。
そして、アラブ連盟事務局長アムル・ムーサー氏が、欧米連合軍によるリビア領土への爆撃に「反対」してみせるのを苦々しい思いで見る。飛行禁止を課すのは、民間人保護のためであり彼らを爆撃するためではないと同氏は主張する。しかし、独『ディ・シュピーゲル』紙への談話によれば、この問題を協議するために行われた[緊急]アラブ外相会議の前から、ムーサー氏は外国の介入を支持していたとのことである。つまり、現在の彼の「反対」は、次期エジプト大統領選をにらんだポーズだと思われる。
飛行禁止空域の目的は民間人、例外なくあらゆるリビア市民を保護することである。そしてカッザーフィー大佐が航空機を用いて国民を脅かし殺戮するのを阻止することである。しかし我々は、欧米の選り好みがアラブ革命だけに留まらずリビア国民自体にも及んでいるのを見る。自主的にであれ意に反してであれ、政権側にいるリビア人は悪いリビア人で、欧米連合としては殺しても差し支えないということか。
アメリカがイラクを破壊する前にみられたのと同じ、嘘と詭弁の段階に我々はいる。そこにはアラブ並びに外国の巨大メディアがかかわっている。ベンガジ、アル=バイダー、トゥブルク、ミスラータでは大佐の軍機が非武装の市民を爆撃し、一方、トリポリ上空では、ミサイルだか対空砲だかで革命側の航空機が撃墜されたとの報は、我々にしてみれば驚きである。飛行禁止というのは、革命側の航空機にも適用されているのだろうか。
カッザーフィー大佐の政権がどこまで長らえるのかは不明である。どの程度持ちこたえる力があるのかは分からない。イラク、アフガニスタン、ソマリアでのように外国の侵略に対し直接戦わないリビア国民は、カッザーフィーに支配させるため、あるいはその息子たちに政権を引き継がせるために、そうしているわけではない。彼らは、自国の尊厳を踏みにじる帝国主義的侵略に抗した輝かしい遺産を有する人々である。
現在リビアで起きていることは、ジョージ・ブッシュを頭目とするネオコン流に軍事力で体制変更を迫る、純然たる侵略である。リビア元首は有用性を失ったのだ。彼の時代は終わり、欧米の眼には今や彼を振り捨てる時なのだ。使用済みのティッシュのように。このため欧米はリビア革命に便乗し、それを有効に利用した。
ロカビー事件の賠償金(30億ドル)が支払われ、リビア資産(2000億ドル)が欧米の銀行にある今現在、米英は最早リビア政権に手をかけないということか。リビア侵攻を率先して行っている英国は、ロカビー航空機爆破事件の容疑者アブドゥルバーシト・アル=マクルヒーの釈放と引き換えに、ブリティッシュ・ペトロールのリビアでの事業を拡大し、大規模な採掘権を得たのではなかったか。サイフルイスラーム・アル=カッザーフィーは、元英首相で、ネオコン哲学者のトニー・ブレアとは家族ぐるみの付き合いをしており、トリポリへ来るたび彼が一族の邸宅に宿泊していると言わなかったか。
もしその発言どおり欧米が、リビア国民を守り、民主主義と人権意識の普及を求めているなら、なぜ、民主的変革をリビアへの制裁解除と国交再開の条件としなかったのか。
煙幕が晴れれば事実がはっきりする。我々は、分割された、あるいは一部削られた、もしくはソマリア化したリビアを見ることになるだろう。内戦が勃発してもおかしくはない。リビアが、ソマリア、イラク、アフガニスタン、イエメンのような破綻国家と化す。それは我々の望むところではない。しかしこれは、中東の国々、あるいはバルカンでも、欧米が介入すれば常に起こることではないだろうか。
欧米の恐れるアル=カーイダは、欧米が軍事介入した破綻国家で繁栄する。イラク、ソマリア、イエメンでは、このような軍事介入、あるいは独裁政権が欧米の戦略に偏向する故に、カーイダが腰を据えたといえる。リビアを見ながら、欧米介入の後には素晴らしい獲物が転がり込んでくると、アル=カーイダ首領はほくそ笑んでいるだろう。いずれにしても、リビアから放逐されたカーイダ系組織とイスラーム的マグリブを名乗るその支部は、イエメンの仲間に次いで強大である。
アメリカによるリビア介入は、終わりも結果も見えない流血沙汰となるだろう。同様の介入によりイラクでは100万の命が失われた。歴史が再び繰り返され、同じプロパガンダと嘘が繰り返されるこの戦争で、どれほどの犠牲がでるのかは神のみぞ知る。
(本記事は
Asahi中東マガジンでも紹介されています。)
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:21885 )