『イマームの軍隊』―アフメト・シュクの本には何が書かれているのか?
2011年03月29日付 Radikal 紙

アフメト・シュクの本では、ギュレン教団が国家の内部、とりわけ警察組織内で組織化を進めているという説が、文書や証言を用いて説明されている。

『イマームの軍隊』というタイトルの本の内容はどのようなものか?3月3日の朝、アフメト・シュク氏が自宅を警察に家宅捜索されて以来、このことが話題になっている。シュク氏はこの本の執筆の最中に、家宅捜索を受けて逮捕された。この捜査について、検察は、「捜査は本とは関係ない」の声明をだしている。


その後、『イマームの軍隊』を発刊を計画しているとの疑いをもたれたイツゥハーキー出版社、シュク氏の弁護士であるフィクレット・イルキズ氏、シュク氏の妻であるヨンジャ氏、そしてラディカル紙で捜査が行われた。それらの全ての場所で『イマームの軍隊』の原稿が押収され、(本は)姿を消した。この本がこれだけ抹消されようとしていることからみて、(逆に)読者がその中身を知る権利を持っていることは疑いがない。

■消去されなかったもの

私のパソコンから消された本の原稿に関し、記憶を辿ってみた。(本を)読んだことを私が知っている他の関係者とも私は話し合った。この記憶から出発し、『イマームの軍隊』という本に関し、少なくとも誰もが一定のイメージをもてるよう、この記事を書く決断を私は下した。出版はされなかったが著作権によって守られているこの本の全てを書くことが私の目的ではない。本はいずれ出版され、全員が詳細まで本を読めるだろう。私がこれから書くことは、おそらく仮想環境において「アフメト・シュクの本を私も持っている」と言う約7万人の人たちにとっては既に知っていることかもしれない。私の書くことは、それを知らない人のためのものだ。

■これがその本

本の序章では、世俗主義に関するよくある言説に反し、国家とイスラムの間にある「相互依存」の関係が説明されている。そして現在の世俗の一翼が「イスラムの危険性」と言う風潮が、9月12日(80年クーデター)の頃に軍事政権によって大きくさせられたという事実をしっかり強調している。本で行われた論証によって、左派と社会主義の運動を一掃する代わりとしてイスラム運動が肥大化させられるたことを、アメリカの「グリーン・ベルト」計画と直接結びつけている。

本では、単に80年クーデターの頃だけでなく、他の時代でもフェトゥフッラー・ギュレン教団がこの肥大に歩調を合わせていると指摘している。(ギュレン氏が)最初の政治教育を、「共産主義との闘争協会」で受けていることを考えれば、、これは不自然な状態ではなかい。この理由から、イェニ・アスヤ(新アジア)新聞のメフメト・クトゥルラル氏との長いルポルタージュを所々引用しているこの本は、3月12日の書簡によるクーデター(71年クーデター)の後で国家がギュレンの教団を支持したことを、また同教団が、2月28日プロセス(1997年)後に福祉党(RP)の替わりになるものを作ろうとしたことが説明されている。この問題についてのギュレン師のルポからの引用された文章では、71年クーデター後に(ギュレン師が)収監されたこと、そして7ヶ月獄中で過ごすことになったにもかかわらず、ギュレン氏の国家への忠誠心が減退することがなかったことが強調されている。

この本では、ギュレン氏の人生が詳しく叙述がされている。エルズルムで説教師をつとめていた時代に、教団は次第に小さな国家のような組織に変化していった。このあたりの情報は、以前に書かれた多くの記事や本の中でも既に紹介されている。しかし、この情報の中には興味深い点も当然ある。まず、ギュレン氏がイェニ・アスヤ・グループと蜜月関係にあった時のこと、その後にイェニ・アスヤ・グループから離れて、故ネジメッティン・エルバカン元首相に接近したこと、さらに後にはエルバカン元首相とも仲違いしたこと、民族主義者行動党(MHP)と衝突が生じたこと、等々のような事実、また教団がいかに細かく組織化されていったかについて説明されている。

本では、同教団が1966年に始まったことを意味するアクヤズル財団の創設にかかわったヌレッティン・ヴェレン氏の告白の一部も記載されている。この告白の中には、電話の盗聴の記録が教団自らによって付けられていたことをうかがわせる部分がある。同書は、これらの告白の中には偽りがあるとしたのち、「光の家」が組織化されたこと、ギュレン系の学校とスズントゥ協会が教団によって如何に利用されたかについての論証にページを割いている。同書はギュレン教団がメディアを重要視していたとし、ザマン紙やサマンヨル・テレビの様な報道機関の存在を強調している。

同書のなかで、ススルルク事件の頃にギュレン氏がとった態度は、一つの章として扱われている。引用されたルポによれば、ギュレン氏はススルルック事件の(捜査が)これ以上進めば、国民の一体性 と協調に害を与えるだろうと考えていた、という。

■最重要ポイント

公正発展党(AKP)政権の時代にギュレン教団が省庁と官僚機構の中でどのように急速な組織化を行ったかが説明されている。そして当然、数年にわたって大きな内部抗争があったことが知られている警察組織内部にも。

「警察は教団の暴力装置なのか?」との問いを中心に叙述され、答えが追い求められる。警察学校、諜報局、組織犯罪対策課、人事課の様な諸単位で、本の主張によればギュレン教団員の割合が非常に高かった。本のタイトル『イマームの軍隊』は、ここからきている。

本によれば、ギュレン教団は警察内での組織化を人事課から始めた。それから諜報局だった。何故ならば諜報局は、諜報、尾行と盗聴活動について非常に戦略的な部署だったからである。このためにも、熟練した人材が必要だった。同書では、これについても次のように主張する。「光の家」で育てられた若者達は組織的に警察学校や警察大学に入学する。同書によれば、この若者達が警察に採用され、その後彼らは昇進するにあたっては、様々なトリックが使われた。試験問題が盗まれたり、偽装されたクジが、(ギュレン教団が)有利な立場を手にするために使われた。

同書には、いろいろな時期に書かれたルポルタージュが掲載されている。たとえば、1991年に主席監察官らが準備した「偽装クジ」の報告は、警察大学でのギュレン教団の組織化に関するものである。その後に書かれた同種のレポートの結果として行われた捜査は、本格的なものとはならなかったとされる。小さな罪状はもみ消されたという。

同書では、教団の息のかかった警察官のためにポストを作る目的で他の警察官達へ仕掛けられた罠の数々も紹介されている。それによると、何者かの不明確な密告や、警察官に仕掛けられた罠があったという。一部の警察官達の悪評を流し、左遷させ、また一方では教団に関係があると噂された警察官達は、年齢・経験に無関係に急速な昇進を遂げた。本ではこれらの者の名前が明かされている。この例の中には、ハネフィ・アヴジュ、サブリ・ウズン、イスマイル・チャルシュカン、ジェレッティン・ジェラフ、エミン・アスランが含まれ、彼らへ仕組まれたとされる陰謀が、細部にわたって紹介されている。

■アフメト・シュク氏を誰が取り調べているのか?

同書のなかで(関係者の)逆鱗に触れたと推測される部分は、重要な職務にあった人物がフラント・ディンク殺人で果たした役割に関し、直接告発している箇所である。『イマームの軍隊』の中で取り上げられた人物達は、同時にエルゲネコンの捜査を進めている人物達でもある。現在シュク氏に向けられている「エルゲネコン組織への支援」という告発の材料は、大きな蓋然性とともにここに隠されている。シュク氏の本は、誰に誰が、いつどこでいかに謀略を仕掛けたのかを、またこのことから如何に有利な結論を引き出したのかを詳細に述べている。

■「この本について不満を述べたり訴訟を起こすつもりはない」

ギュレン師はシュク氏の書いた『イマームの軍隊』の本について何を発言したか?シュク氏の未刊行の原稿「イマームの軍隊」に対する強制捜査ののち、論争の焦点の人物であるギュレン氏の弁護士から(彼への)批判に関する声明が届いた。これは以下の通りである。

「最近、イスタンブル共和国検察が行った幾つかの手続きを理由に、私のクライアントであるギュレン氏に非合法かつ不当な報道が行われている。このため、フェトフッラー・ギュレン氏は、次の説明をすることとした。

『今日まで私に対する数多くの出版が行われており、たくさんの本が出版されている。しかしながら、出版前の本を妨害することのような働きかけを私は決してしなかった。ただ、私の人権への攻撃や、私個人への根拠のない告発や中傷に対して一国民としての法の枠組みにおいて私の権利を求めただけである。法に反するという裁定がなされ、また法において賠償金の支払いが決定が与えられた本でさえ、再び出版され売り出されている。

とくに、「2月28日プロセス」の時期には私に向けられた心理的攻撃の産物が、そのほとんどの中身がそっくりなたくさんの本として市場に出回った。これらの本の中にある主張は、最高裁判所が全員一致で私に無罪判決を下した裁判での主張と同じものだった。さらにいくつかの本は、捜査資料に付け加えられ、さらにその中身は訴状に付記された。さらに、これらの本の中で述べられている主張が無価値のものであることは、世論において既によく知られている。

情報時代において、あらゆる種類の報道がインターネットの様な手段を通じて簡単に行うことが出来る時代に、どの報道も、受け手の読者に届かないように妨害することは不可能なことは明らかである。またこのような試みが、発禁が必要な本への関心を逆に高めることも明らかである。
前述の本とまた書かれた内容に関し、個人的な不服の申し立てをしたり訴訟を起こしたりするつもりはない。これは、完全にトルコの司法の問題であり、司法当局が当該の本についてどのような容疑で、またどのような証拠に基づき、調査をはじめたのか私は知らない。完全に独立した裁判の問題である本件について、自分に有利にも不利にも、いかなる発言もするつもりはない。ただし、思想、表現と報道の自由は民主主義が放棄することが出来ない原則であるが、いかなる自由も、公共の秩序に反したり、或いは個人の権利を攻撃し、また無実の人たちを中傷する目的に使用されてはならないことは、やはり民主主義と人間の権利の最も基礎的な規範であるということは忘れてはならない。」

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( 翻訳者:濱田裕樹 )
( 記事ID:21974 )