アルゼンチン、アルメニア虐殺問題で、トルコに有罪決定
2011年04月03日付 Radikal 紙
アルゼンチンの、微妙な訴訟を扱うことで有名な裁判官ノルベルト・オヤルビデが発表した判決文で、「トルコ国家は1915年から1923年の間に同胞の150万人のアルメニア人を組織的に抹殺する罪をはたらいた」と述べた。
アルメニア系のアルゼンチン国民であるグレゴリオ・ハイラベディアンは、2000年に訴えを起こし、第1次世界大戦中にシヴァスとハルプトで暮らした自身の先祖の行方(の責任)についてトルコに問うことを望んで始まった11年間に及ぶ訴訟の結果、史上はじめていわゆるアルメニア人虐殺の責任について「普遍的管轄権」を認めた。判決後会見を行ったハイラベディアンの弁護士は、判決がチリの独裁者ピノチェトについてスペインの裁判官バルタザル・ガルゾンが出した「反人道的な罪は普遍的に裁かれる」という判決に基づいたことを述べた
判決によって、トルコに対しいかなる懲罰的な制裁を行われないが、アルメニア人組織が国際的な論争の場と法廷でアルゼンチンの裁判所が出した判決を証拠として使う糸口となるだろう。
■ 11年続いた裁判でドイツが送った文書が影響をもたらした
トルコが虐殺を働いたと宣した同法廷は、2000年にグレゴリオ・ハイラベディアンが世界人権宣言にある「真実を知る権利」という原則に基づき、第一次世界大戦中シヴァスとハルプトで暮らした自身の先祖の「行方」の調査を求める訴えによって始まった。2002年に裁判官オヤルビデが、トルコに対して正式に申請をしてハイラベディアンの家族の「行方」についての情報公開と犠牲者に関するすべての関係資料をアルゼンチン司法当局に提供するよう求めた。同時にイギリスとドイツとアメリカとヴァチカンに1915年から1923年の間にトルコで起こった事件に関して持っている情報の提供を望んだ。資料を集め、証人への聞き取りをおこなって費やした11年後に裁判所は最終判決を下した。
裁判所の判決文では、ドイツから送られた資料の中で事件当時の領事と外交官が書いた暗号文で、「単にアルメニア人に対して犯罪を働くのみならず、同時にトルコがアルメニア人を根絶するために組織的な計画を実施した」という内容の文章があり、これはドイツがトルコの同盟国であるという理由で第一級の証拠であるとして認められた、という表現があった。同時にここ5年でアルメニアとイギリスとフランスとベルギーとドイツとヴァチカンとイスラエルの文書群から出た秘密文書、外交文書など様々な記録におけるこの問題に関するトルコに不利な表現や証言も、資料に記載される内容(の信憑性)を認めるものであることが、トルコが虐殺を犯したと裁判所が認める証拠とされている。
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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:22024 )