オジャラン誕生日、出身村に人々殺到―今年も平穏に終わる
2011年04月04日付 Milliyet 紙


 テロ組織指導者で分離主義者の領袖アブドゥッラー・オジャラン被告の誕生日に人々が集まった。訪問許可は今年で2回目となり、参加者に平和民主党(BDP)所属の国会議員も含めた約1万2千人がハルフェティ郡オメルリ村でオジャラン被告の近親者に迎えられた。クルディスタン労働者党(PKK)と指導者を讃えるスローガンを叫びながらオジャラン被告の生家へ向かった群衆は、そこで武装団の頭領の写真にキスを、その家の庭の土を手に入れようと我先に競い合った。

 毎年、治安部隊とPKK支持者との衝突原因となっている62歳のオジャラン被告の誕生日の緊張だが、昨年に引き続き今年も緊張は見られなかった。治安部隊と、誕生日祝賀を組織する「拘留者及び有罪者の家族のための法相談協会連盟」(TUHAD-FED)代表らとの交渉後、2日前からハルフェティ郡に集まっていた数千の人々は、今朝バスやミニバス、自動車でオメルリ村へ出発した。車の移動で発生した混雑による交通渋滞で、道が開けるのに長時間ひしめきあった。車両に空席を見つけられなかった者は、歩いたり走ったりするなどして村へ向かった。手にオジャラン被告のポスターとPKKを象徴する布をもった群衆は、オメルリ村へ向かう道中、頻繁にテロ組織と首謀者を讃えるシュプレヒコールをあげた。

 村の入り口で車から降りてひとしきり歩いた群衆は、ここでアブドゥッラー・オジャラン被告の弟メフメト・オジャランさんとおい、めいらに出迎えられた。彼らを「Vサインをしながら迎えたメフメト・オジャランさんと握手し、家で彼らを待っていたファトマ・オジャランさんの手に我先にとキスして挨拶した。集団はひとしきりここでオジャラン被告の兄弟らの手にキスをし、握手するために競い合い、その後、「オジャランに自由を」、「誕生日おめでとう、オジャラン」、「指導者アポ万歳」(アポはオジャラン被告の愛称)、「殉教者は不滅」などのスローガンを叫びながらアブドゥッラー・オジャラン被告が生まれた家へ入った。家に来たPKK支持者らは、まず壁に掛けられていたアブドゥッラー・オジャラン被告の写真にキスし、その写真のそばで記念撮影しようと互いに争い、ここでも混雑が起きた。群衆は、オジャラン被告の写真と、妹のファトマとハッヴァ・オジャランさんの手にもキスしようと励み、その後家の外に撒かれた菓子取りに熱中した。

 メフメト・オジャランさんは、BDPの国会議員ギュルタン・クシャナク氏、アイラ・アカト・アタ氏、セバハト・トゥンジェル氏とシイルト市長で無所属のセリム・サダク氏と共に、庭のある平屋の屋根に上り、群衆にクルド語で演説をおこなった。そして誰もが平和の中で生きることを望んでいると語り、兄の誕生日のために村に来てくれた人たちに感謝を述べた。

 BDP国会議員のギュルタン・クシャナク氏は、オジャランを讃えるスローガンを叫び続ける群衆に語りかけ、クルド問題が解決段階に入ったことを強調し、以下のように述べた。

「(クルド問題)解決の段階にきた。ここへ来ることで皆さんはそれを示したのです。今後、問題解決の障害となるものは、トルコに、そしてトルコ人とクルド人を裏切ることになるだろう。我々がここで示した態度が考慮され、親愛なるオジャラン氏との対話を通してこの問題が解決されることが必要だ。1993年以来、親愛なるオジャラン氏はこの問題を平和的手段による解決、民主的解決のために、新しい計画をつくり尽力している。クルド人は親愛なるオジャラン氏を「指導者」、そして「対話者」として見ており、このことに注目することで、この国に平和と解決をもたらすアプローチになるだろう。この太古の土地へきっと平和がくるだろう、自由が来るだろう。クルド人もすべての国民のように誇りある生活を送れるようになるだろう。この問題と闘っているあなた方を私は祝福する。」

■土を顔に塗りつけた

 集まった群衆はおよそ1時間滞在した家でPKKとオジャランを讃えるスローガンを叫び、辞去を促された後、オジャラン被告が生まれた家の庭の土を先を争って集めた。土にキスをして顔に塗りつける者がいる一方で、多くの者はってきた手提げ袋やペットボトルに土を詰めた。しばらく土詰め争いをした群衆は、その後もなおスローガンを叫びながら家を出て、バスが待つ広場へ歩いていった。この間、オジャラン被告の生まれた家を訪問した数千人のうち、顔を布で隠した幾人かの若者が、オメルリ村のモスクのミナレットに上り、オジャラン被告のポスターとPKKのシンボルカラーの布きれを広げた。大勢が何度もPKKとオジャラン被告を讃えるスローガンを叫んだ。
 
群衆が家にいる間、何者かが撮影していた記者数人のカメラを奪い、記者の車のタイヤをナイフで切り裂いた者もいた。このPKK支持者は訪問を終えて車に乗って帰り始める一方で、他にも大勢の人々がこの村を続々と訪れ続けている。

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( 翻訳者:岸田圭司 )
( 記事ID:22031 )