Eyup Canコラム:大学入試センターから受験生あて書状の「最後の一文」
2011年04月14日付 Radikal 紙
大学入試センターは全受験生に対し、(試験問題の正解を知る)公式の存在や犯したミスについて、完全に我々の記事のとおり認める書状を出した。しかし脅迫ともとれる最後の一文は全くもって理解しがたい。
我々が行った「建設的批判」について感謝状などは期待していなかった。それでも、大学入試センターが170万人の学生を納得させるために送った書状が「ばかばかしい脅迫文」で締めくくられるとも、思ってもいなかった。長年、我々新聞記者はあらゆる種類の非難を受けとめてきた。しかしながら、今回のようなことは見たことも聞いたこともない。紙面上、余裕があれば書状のすべてを報道することができていたが。
「親愛なる学生のみなさん」の書き出しで始まる書状には、そうはいってもかなり率直な言明が含まれている。
本紙が高等教育資格試験に関し、当初から行ってきた報道を1つずつ整理している。
思い出していただきたいのだが、高等教育資格試験に関する最初の疑惑は、問題冊子に見い出された公式に端を発する。あの日のニュースを我々は非常に冷静に報道した。大学入試センターは2日後、「公式はその通りだ。しかしそれはメディア用に配布した問題冊子にのみあるもので、学生に配布された冊子にはそのようなものはない」と述べた。イデオロギー的でセンセーショナルな報道を求める人たちと、当初から疑惑を「まゆつばもの」としてとらえる人たちに取り囲まれている状況で、我々は専門分野の記者と「公式危機」を解くことに努力した。通常、1時間で終わる会議は、その日、まるまる7時間かかった。いかなる先入観も持たずに行った。
責任論が激しく議論されている状況下で、我々は、試験問題にいったい何が起きていたのかだけを、理解しようと努めた。「公式」についての疑惑はメディアに配布された問題冊子だけの問題だというのであればと、すぐに学生に配られた冊子への調査に取り掛かった。(疑惑の)名前は「公式」でも「パターン」でも、あるいは「アルゴリズム」でもいいのだが、大学入試センターのインターネットサイトからダウンロードして調べた何十もの冊子の中には、40の数学の問題のうち37問が公式で解ける冊子すらあった。それぞれの冊子を確認したあとにハカン・チェレンク編集長が味わった「感嘆」と「歓喜」の様は、一見の価値があった。
これは冗談ではない。トルコ中が「あるのか、ないのか」と議論し、大学入試センター曰くメディアにのみ配った版にはあると認めた公式を、ハカンは学生に配布された冊子で1時間のうちに解明したのだ。ざっといえば、こういうことだ:
「選択肢の中の一番大きい数のすぐ右側にある選択肢が正答である。」
記者たちは、問題冊子を山ほどダウンロードするという拷問のような作業をいとわず、何十もの冊子をこの公式をつかって検証した。驚くべきことに、結果はすべて同じだった。そのため、4月5日の本紙は「試験の2番目の公式」という見出しで記事を掲載した。4月6日には、憶測の代わりに大学入試センターへ「公式を解明する最短方法」を示した。非常に単純である。問題を簡単に解くにあたり有益な「パターン」がそこにはあるのだから。
「公式に関する議論はもうやめよう。問題冊子にはカンニングの痕跡があるのか、それを確かめよう」と我々は書いた。
大学入試センターの担当者は、我々の呼びかけに答え、高得点を取った受験者たちの冊子をただちに調べた。わが社の専門分野の記者たちも加わり、100以上の冊子を調べた。「おそらく・・」という疑いの目をもって調べたが、我々が調べた問題冊子では、我々が見つけた「公式」を使った、いかなるカンニングの形跡もなかった。そのため、4月7日の本紙は、何百万人もの学生や保護者に、部分的ではあっても気持ちを楽にしてもらおうと「パターンはあるが、カンニングの痕跡はなし」の見出しをうった。翌日、「検察官が動き」、この件はすべて司法へ委ねることとなった。一対一で行ったインタビューで、大学入試センター当局は我々の行った骨の折れる綿密な、そして責任ある報道に感謝すら述べた。しかし先に言ったとおり、我々はこの報道を感謝されるために行ったのではなく、職務であるから行ったのだ。ところが昨日、大学入試センターは学生に対し、公式の存在や犯したミスについて、完全に我々の記事のとおり認める書状を書いたのだが、そのなかにある脅迫ともとれる最後の一文は全くもって理解できないものである。
そのままお伝えしよう・・・「最後に、これもお分かりいただきたいのだが、あなた方の感情や揺れる気持ちを利用して、世論を悲観的な方向へ導こうとする人々に対しては、必要な調査と捜査、法的措置をとっております。」
約20年間、新聞記者をやってきた。今日まで、「世論を悲観的な方向へ導く」ことが法的措置を必要とする罪であるなど、聞いたことも見たこともない。こんな事態を初めて目の当たりにした。さて、書状に署名した大学入試センター長のアリ・デミル氏に、私も1つ、伝えておきたいことがある。
「アリさん、最後に、私もこの点をあなたにお分かりいただきたいのですが、我々の報道が世論を悲観的な方向へ導いたかどうかという議論自体が軽蔑に値するものだと思っております。」
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( 翻訳者:金井佐和子 )
( 記事ID:22142 )