戒厳令はないが死者はある―シリア緊張高まる
2011年04月22日付 Hurriyet 紙

バッシャール・アサド大統領が48年に及ぶ戒厳令を解除した一日後、シリアは混乱に陥った。何十万ものキリスト教徒、イスラム教徒のシリア人が集まった「大いなる金曜」は、最大の流血の日となった。バアス党の単独政権の廃止とアサド大統領の辞任を求めるデモ隊に、(治安部隊は)銃弾で応じた。反体制派によると少なくとも70人が死亡したという。

シリアで半世紀に及ぶ戒厳令が解除されたことから国での自由の拡大を願った人々は、初日にして絶望に直面した。この日は、イエスが磔刑に処された日であり、イスラム教徒の聖日でもあるために「大いなる金曜」と名付けらていた。しかし、シリアの多数の都市で同時に行われたデモで反体制派に対する発砲が行われ、人権団体によると少なくとも70人が死亡したという。

フェイスブックで組織化された、二つの宗教の何十万ものシリア人が、西はバーニヤースから東はダイル・アッ=ザウルまで、南はダルアーから北はカーミシュリーまで、多くの都市の通りにあふれた。活動が6週目に入り、反体制派は最大のデモを計画し、初めて共同声明を発表した。各県を代表する地元の調整委員会は、バアス党の単独政権の終結と民主的政治システムの構築を求めた。声明において、すべての政治犯の釈放が望まれ、既存の治安組織の解体とそれに代わる、憲法に則して活動する明確な権威をもつ組織の設立が要求された。デモではアサド大統領の辞職も望まれた。1ヶ月半前、反体制活動の始点となった南部ダルアーで集まった十万人ほどのデモ隊は、「シリア国民は屈しない、さあ行ってしまえドクター(アサド)」とのスローガンを掲げた。<後略>

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( 翻訳者:吉岡春菜 )
( 記事ID:22228 )