アリー・モタッハリー「革命のイデオロギーを変質させようとしている者がいる」
2011年05月02日付 Mardomsalari 紙

オルディーベヘシュト月12日(西暦5月2日)は、殉教者モタッハリーが殉教した日であり、「教師の日」と命名されている。モタッハリーは、栄光に満ちた人生の中で様々な著作を遺し、〔パフラヴィー体制による〕専制下で停滞し、迷信にまみれ、活気を失った社会の変革に努めた人物である。
〔※モタッハリーは革命前、テヘラン大学神学部の教授として活躍し、敬意を込めて「先生」と呼ばれる〕

 アリー・モタッハリー氏は「殉教者モタッハリーの子どもであること」について、「人一倍責務が課せられること」を意味すると指摘し、次のように述べた。「私たちのような人間には2つの人格がある。1つは自ら固有の人格であり、もう1つは殉教者モタッハリーのような偉大な人物との姻戚関係から生じる人格である。結果として人々は、まさにそのような存在として相応しい行動と能力を、私たちのような人間に対して期待するのである」。

〔‥‥〕

 モタッハリー氏は「殉教者モタッハリーは、最初にイスラーム学者となり、その後著述や演説を始めた。故に彼の作品には、〔学者として〕固有の手堅さ・確実性があり、その上で彼はイスラームを簡明な言葉で説明したのである。〔‥‥〕」と振り返った。

 モタッハリー氏は、大学と人文科学のイスラーム化については、次のように述べた。

もし、人文科学のイスラーム化という概念を、新たな科学への無関心という意味で取るのなら、それは正しくない。人類の思想の成果を活用しつつ、それらをイスラーム的基準に適合させ、その有用な部分は引き受けながら、有害な部分は排除する、というのが正しい方法なのである。もしイスラーム教徒たちが〔イスラームの歴史が始まる〕まさに最初に扉を閉ざしたなら、イスラームがこれほどまでに発展することはなかっただろう。西洋の人文科学を、イスラーム的人文科学に役立てるようにする必要があるのだ。

〔‥‥〕

 国会原理派のメンバーでもある同氏は、さらに次のように述べた。

立憲革命の時に、本来の革命家たちは脇に追いやられ、エイノッドウレのような連中が現れて、革命は本来の道から逸れてしまった。今日も、同じようなことが革命を脅かしている。なかには、革命のイデオロギーを変質させ、「イスラームのことは話題にしないようにしよう、なぜならイスラームについてはさまざまな解釈があるからだ。われわれがアル・カーイダと一緒にされてしまう可能性もある。イラン主義を、ノウルーズを、そしてイスラームに対するイラン的解釈を、可能な限り話題にするようにしよう」などと言っている者もいる。あるいは、「文化に対する政府の監視とか《善を勧めて悪を禁ずる》〔というイスラームの原則〕など、信じてはいない」などと言う者すらいる。こうした言動は危険だ。

 同氏はさらに、「革命家たちは立ち上がり、原理主義者の真の姿を人々に示すべきだ。〔‥‥〕」と語った。

〔後略〕



*訳註:エイノッドウレはイラン立憲革命の際、保守派の重鎮として宰相を務めた人物で、ガージャール朝による「反動」政治の象徴的存在として知られる。

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( 翻訳者:八十嶋彩子 )
( 記事ID:22441 )