墓地入口コーラン章句、苦情はトプラク教授のみにあらず
2011年05月10日付 Yeni Safak 紙
イスタンブルのジンジルリクユ墓地の入口に書かれた「生きとし生けるものはいずれ皆死を迎える」というコーラン章句について、共和人民党(CHP)の候補者ビンナズ・トプラク教授は「きわめて不適切」と述べたことが再び話題になった。エルドアン首相はトプラク氏について、「彼女は教授だそうだが、これがアッラーのお言葉なのかカーディル・トプバシュ(イスタンブル)市長が書かせたものなのかすら、判断できない」と批判した。トプラク氏は「問題にしたのは章句自体ではない。設置場所に反対なのです」と述べた。
ブギュン紙によると、問題の章句は老朽化した墓地の入り口を2003年にイスタンブル広域都市墓地局が再改修した際に、記したものだった。この章句をここに付けることを提案したのは、カーディル・トプバシュ市長でも他の公正発展党(AP)党員でもない。2008年に79歳で亡くなったハシプ・ウラス退役大佐である。ウラス氏は、社会主義者の政治家であるウフク・ウラスの父であり、トルコ語による礼拝の実践を主張した。
宗務庁に宛てた投書でウラス氏は、以下のように発言した。「霊柩車にアラビア語で『アッラーのほかに神はなし。預言者ムハンマドはアッラーの僕であり、使徒である。死を汝も迎える』と書いてある。この教訓的な章句を、母国語のトルコ語で読んで何がいけない。」ウラス氏の再度の要請を受けて、ジンジルリクユ墓地を始めとして他の複数の墓地の入口に、トルコ語で「生きとし生けるものはいずれ皆死を迎える」という言葉が掲げられることになった。
■ こう解釈するには共和人民党(CHP)でなくてはならない
息子のウフク・ウラス氏は、議論が陳腐で、ヨーロッパ的であると言い、「この表現は精神的、存在論的なものとして認識する必要がある」と述べた。ウラス氏は、あの章句を一種の脅しのように認識するのはナンセンスであると強調し、「(事情を知らない)日本人観光客などにはこのように思えるかもしれないが、その国の文化の中で生きる人が同じように見るのは、私にはヨーロッパ的だと思える」と言った。
ウラス氏はさらにこう続けた。「この章句が(人々のもとへ)届き、意味内容の理解と、自身の人生を問い直す際のまさに一助となってよかったではないか。(こういった反応は)人々が自らの文化と疎遠になってしまっていることをよく表わしている。聖典が、人々が人生を問い直すきっかけとなるそうした聖句が、そんなふうに評価されるとはどういうことだ。何という自文化からの分離であろうか。私には、別世界からの声のように思えるのである。全く思いもつかなかった。こう解釈するにはおそらく、共和人民党(CHP)党員である必要があるのだろう。」
■5回礼拝した
ハシプ・ウラス元大佐は、軍事高等学校と陸軍軍事アカデミーを卒業後に渡米し、写真と映像を学んだ。知人の話によると、ウラス氏は日に5回の礼拝を欠かさず行い、退職後にハッジ(大巡礼)に行った。ウラス氏は、「人生は経験である」で始まる回想録でも、議論になっている章句に言及した。ウラス氏がイスラムの教えと迷信をしっかり区別するために尽力したと書いてある。
なお、ビンナズ・トプラク教授のような発言は彼女が最初ではない。
■ ルハト・メンギ:(2003年6月20日)
「毎日、あの墓地の前を通る多くの人々がこの章句を目にして鳥肌の立つ思いをしている。若い人、働き盛り、お年寄りの読者に、墓の前を通る時、章句を見てどう思うかを聞いたところ、全員が『恐い。あれを見た際に取り乱し、交通事故を起こしそうになった』と答えた。特に若い人たちがひどく怒りをあらわにしていた。」
■ デニズ・アルマン(2003年7月17日)
「このように失敬で思慮に欠ける行為は許されるものだろうか。毎日多くの人が通るあの場所に「死」という言葉を示し気分を害させることは、神もお望みになることだろうか。」
■ アイシェ・オズギュン(2003年7月15日)
「身に迫る危険の中で過ごすといった脅しのよう感じられる。何の意味があるのでしょう。必要なことでしょうか。トルコは、世界の国から軽蔑されるようなことをしなければならないのでしょうか。そんな必要は全くありません。このような配慮に欠け、愚かな行為は、トルコ人に相応しくないものです。」
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( 翻訳者:木村納菜 )
( 記事ID:22449 )