第一次世界大戦中に、バシュカレへ移住し、1960年代初頭にその地を去ったユダヤ人たちが、50年を経てバシュカレ郡を訪問した。盛大な音楽で出迎えられたユダヤ人らの中には大地にキスをする者もいた。
第一次世界大戦下におけるユダヤ人移住により、ヴァン県のバシュカレ郡へと移り住み、1960年代初頭にその地を離れたユダヤ人たちが、50年を経てバシュカレ郡を訪問した。イスラエルを始めとし、ヨーロッパやイスタンブルへ移住したユダヤ人たち46名は、イフサン・ギュレル前バシュカレ市長やヘジェル・サルハン副市長をはじめとした大勢の住民たちにより歓迎された。郡の入り口で楽器の演奏や花束とともに出迎えられたユダヤ人たちは、車列を組んで郡内へと入った。バシュカレ郡で車から降りたユダヤ人たちは、地面にキスをした。大きな関心が寄せられたことで、大いに喜んだユダヤ人たちは、市場を歩いて回り、その後しばし文化センターで休憩した。
■「バシュカレの住民のみなさんに感謝している」
訪問グループを代表して挨拶を行ったバハッティン・ギュネルさんは、バシュカレの人々の大歓迎に戸惑っており、寄せられた関心やもてなしにとても感激し、住民の方々に感謝していると話した。デルヴィシュ・ポラト平和民主党(BDP)郡支部長は、ユダヤ人の隣人たちが50年ぶりにバシュカレを訪れたことをうれしく思うと話し、兄弟の絆が永遠に続くことを望むと話した。同氏は以下のように話した。「かつてはアルメニア人やユダヤ人、トルコ人そしてクルド人兄弟たちがともに幸せに暮らしていた我が郡にて、このように様々な文化や特徴をもった人々が一同に集まることはわれわれの誇りであります。この兄弟の絆が永遠に続くことを祈っています」。挨拶が済むと、訪問客たちのために用意された映像が興味深く鑑賞された。その映像では、昔のユダヤ人の墓地やユダヤ人たちが暮らした古い家々が、ヘブライ語の音楽とともに映し出された。上映の間、多くのユダヤ人たちは涙を止めることはできなかった。
(その後)ユダヤ人たちのグループは、かつてのユダヤ人墓地を訪問し、その場で1分間の黙祷を行ったあとにユダヤ教の祈りを捧げた。さらにそののち、1960年代にユダヤ人たちが暮らしていたカレ街区の家々を訪問し、今そこで暮らす人々と会話を交えた。82歳のヘディイェ・ウヤルさんは、ユダヤ人たちグループ内の数人と知り合いであった。訪問客たちはその後バシュカレから6km離れた場所に位置するギュロルク村の(シャー)イスマイル・クトゥベッディンの墓廟を訪問した。そこで墓石に紐を結びつけて祈りを捧げたユダヤ人たちに、その地の郷土料理がふるまわれた。ユダヤ人たちは携えてきたプレゼントを子どもたちに渡し、今回の訪問を終わらせて、バシュカレを去って行った。
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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:22506 )