Semih İdizコラム:シリアの混乱につけ、トルコへの期待は大きくなる
2011年05月17日付 Milliyet 紙

シリアの情勢が刻々と悪化している中、西側の国々はこうした事態を絶望的と見ている。おそらく皆、この国で内戦が勃発すれば、この地域、そして世界の不安定さが増すことを知っている。宗派対立からイランとサウジアラビアの問題にまで、この機を利用しようとする過激派テロ組織の様々な動きから、中東地域全体を混乱に陥れるかもしれないイスラエルの干渉まで、シリア情勢には極めて危険な要素がぎっしり詰まっている。こうした事態は、いかなる形であれ、トルコに波及することはありえないが、これらの事態に対し国際社会のトルコへの期待は高まっている。ここ数日、西側のメディアが続々と伝える見解のなかで、「トルコはシリアの情勢に、手遅れにならないうちに関与すべき」との認識が広まってきているように思われる。

こうしたなかAKP政権を改めて考えてみると、「トルコはこの地域の問題に積極的に関与しているというなら、シリアのためにもっとするべきことがある」という共通認識が注目される。もちろんこれら以外に、「トルコに出来ることはこれ以上ない」という意見や「トルコ政府が民主主義を重視しながら、その影響力を誇示するために、好機を逃してしまった」という意見もないわけではない。

エルドアン首相と(シリアの)バッシャール・アル=アサド大統領の間に太いパイプがあることはよく知られているにも関わらず、シリアで金曜日(13日)に起きた反政府デモでは、トルコ国旗やエルドアン首相のポスターが掲げられたことで、トルコ政府にとっても事態をよりいっそう複雑なものとしている。

率直に言うなら、エルドアン首相にはアサド大統領を見限る心の準備がまだ出来てないにもかかわらず、アサド大統領とその政権が退くべきだと考える人たちが希望を持ち始めている。これはもちろんエルドアン首相の「ハマーの悲劇は二度と見たくない」との発言に結びつけるのも可能である。

しかしトルコは、自らの経済利益と安全保障上の利点をうかがおうとするとき、もう一方で西側諸国、アサド大統領、そして反アサドや反バアス党の人々、それぞれ立場の期待に同時に応えることが出来るような状況にはない。しかしこれは、シリアの事態に進展に対して何もせず、それが由々しき事態となっても傍観するだけでよい、という意味ではない。

逆にシリアでの事態は、トルコが何らかの形で役割を果たす必要が出てくることを如実に示している。この役割は、アサド大統領やバアス党の要人に対する「早急な改革」への呼びかけとは、まったく別のものでなければならないということも明白である。

一方で、シリアのクルド人も組織化をすすめ政治活動を始めたが、これがトルコ政府にとっては、この問題に全く別の意味での緊急性をもたらすことになったということは、誰の目にも明らかである。

こうした事態は、一票の差でどうなるかはわからないにせよ、6月12日選挙に勝つだろうと国際社会が予測する公正発展党(AKP)が、次期政権で早急に取り掛かるべき問題を明らかにしている。

エルドアン首相とダヴトオール外相のこの中東地域へのヴィジョンは、そこにある現状の上に構築されたものであった。つまり別の言葉で言うなら、アサド政権もカダフィー政権も、そしてAKP政権が端から気に入らなかったムバラク政権でさえも、民主化に向かうみちのりのなかで「進化する」ことを前提に構築されたのだ、これらの想定は。

要約すると、こうした体制が「転覆する」という想定はなかった。しかし、今日の状況は、そうした想定を根底からひっくり返してしまった。AKP政権は今後、シリアで潰えた自らの中東ヴィジョンはひとまず置いて、この地域のダイナミズムやバランスを、より現実的な基盤の上に据えさせるような政策を作り出すべきである。

この政策の基礎には、民主主義、人権尊重、世俗主義といった概念を置くことが、条件となるだろう。一方で国連が設立した「マーヴィ・マルマラ号調査委員会」の持っている証拠が漏れ出し、トルコ政府を立腹させることになったが、その証拠のために、両国関係(トルコ―イスラエル)がより悪化しているにせよ、イスラエルとは、―ともかく「愛情」に基づくものではないにせよ―機能的な関係を構築しておかなければならない。

これは歴史のいたずらなのだろうか、イスラエルとのつながりを断ち切るトルコが、中東で演じようとする役割に限界があることを示したのは、ほかの誰でもない、アサド大統領であった。

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( 翻訳者:池永大駿 )
( 記事ID:22523 )