BDPメンバーら、イラク側に残ったPKK遺体収容―治安部隊との緊張続く
2011年05月17日付 Milliyet 紙


シュルナク県のウルデレ郡のイラク国境にある軍の前線基地に侵入しようとして衝突で殺害された12人のPKKメンバーのうち、イラク側に残された3人の遺体を収容しようとした平和民主党員らと治安部隊との間の緊張は、昨日、何時間も続いた。平和民主党の国会議員を含む人々は越境し、遺体を見つけ、トルコ領内に運びこんだ。

ウルデレ郡イェミシュリ村のイラク国境沿いにあるビリジャン・テペスィ地区の(軍の)基地に侵入しようとしたクルド労働者党(PKK)メンバーらは、軍治安部隊と衝突した。二つの戦闘作戦で合計12名のPKKメンバーが殺害された。PKKメンバーのうち3名の遺体がイラク側に残っており、平和民主党(BDP)が支援する無所属国会議員候補のギュルタン・クシャナク氏、及びハスィプ・カプラン氏、ディヤルバクル市長オスマン・バイデミル氏、BDP会派副代表フィリス・コチャリ氏らを含むBDP党員がビリジャン・テペスィに集まった。

■国境では日中緊張が続いた

遺体を収容するために約300人がイラク国境を越え、収容した遺体をビリジャン・テペスィへ運び込んだ。この際、人々はシュプレヒコールをあげようとし、(軍との間で)緊張が高まった。軍は空中警告砲を打ちあげ、ヘリコプターからは多くの増強部隊を投下させた。軍が検死のため遺体を引き取ろうとすると、これに反対した人々の間で緊張は最高潮に達した。騒動の間、遺体を(軍に)手渡すのを拒んだ人らは、折った木の枝で軍と戦おうとした。あるグループは、棺に入った遺体を奪おうと、全速力で山の斜面を走り始めた。この間、この地域の出入り口は封鎖された。この騒動の後、遺体を手渡すのを望まないBDP党員は座り込み運動を開始した。この間、約50名が軍により逮捕された。その後、ディヤルバクル市長のオスマン・バイデミル氏が責任者である司令官らと話し合った後、逮捕者らは解放された。さらにその後、3名のPKKメンバーの遺体は軍に手渡された。

■埋葬は夜、行われた

殺害されたPKKメンバーのうち、サミー・ピランオールの遺体は昨日夜にシュルナック県ウルデレ郡に運ばれた。郡内ではPKKを支持するシュプレヒコールに出迎えられた遺体は、オゼリ・モスクまで人々の肩に担がれて運ばれた。この間、葬儀に参加したあるグループは、警戒中の警察に投石した。警察もガス爆弾で投石者らに応酬した。

緊張が続いた後、PKKメンバー・ピナルオールの遺体は、BDPが支援する無所属国会議員候補のハスィプ・カプラン氏、ディヤルバクル市長オスマン・バイデミル氏も参加して町の墓場に午後11時に、埋葬された。

遺体埋葬後、BDP所属のシュルナック県知事のアビット・イケ氏は、「何日にもわたりボタンの人々は、彼らの子どもたち(=殺されたPKKのメンバー)を守るために大きな抵抗を見せた。クルド人は常にこどもたちを守るのだ。(クルドを)否定し、絶滅させようとする政治によってでは、クルド人を正義の闘いから退けさせることは出来ない」と述べた。

■バイデミル・ディヤルバクル市長「自由のために我々の闘争は続く」

ディヤルバクル市長のオスマン・バイデミル氏も、ボタンの中心であるシュルナクで、何日にもわたって、一つの反乱が続いていたと語った。バイデミル市長は次のとおり話した。

「何日にもわたり、ボタンの人々は子どもたちのために立ち上がっている。汚れた精神によって汚された政治の結果、今日、さらにもう一つの生命を土に還した。願わくば、この死が土に還す最後の命となりますように。公正発展党(AKP)がクルド人に投げ与えたこの生き方を、クルド人が受け入れることはないだろう。自由のために我々の闘争は続く。」

(殺された)PKKメンバーのピランオールの母、ナジイェ・ピランオールさんは、「この流血が一日でも早く止まりますように。この血とともにどこに行きつくことが出来るというのでしょう。友愛を求めます。私の息子は正義の闘いのために命を失いました。他の母親たちが、彼らの息子の命を失うことがありませんように。クルディスタン全体にお悔やみ申し上げます」と述べた。

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( 翻訳者:石川志穂 )
( 記事ID:22538 )