スルチ郡において(BDPが組織する)「民主的解決テント」集会における金曜礼拝で、市民不服従運動の一環として、クルド語のアザーンが流されたという疑いが南東部で大問題になっている。BDP(平和民主党)はこれについて否定し、ニハト・エルギュン産業通商相とトルコ宗教勤務者組合(Diyanet-Sen)はこれを、「人種差別的」と非難した。
BDP(平和民主党)前党首で、ハッキャーリ県無所属候補のセラハッティン・デミルタシュは、「BDPによる民主的解決テント集会でクルド語のアザーンが流れている」という主張を否定した。
選挙活動のためハッキャーリに滞在しているデミルタシュは、「そうした主張は事実無根である。そうした議論さえ起きていない。こうした嘘を正すことは、今の状況ではもはや難しい。これはAKP(公正発展党)による中傷である。泥を投げれば、跡が残る。他に言うことはない」と話した。
(中略)
■エルギュン産業通商相「アザーンは普遍的なメッセージ」
ニハト・エルギュン産業・通商相はKanal 24 TVで放送された番組「Moderatör」において、クルド語のアザーン問題について触れ、過去にはトルコでもこうした試みがあり、長年にわたって実行されてきたことを指摘した。
エルギュン産業通商相は、アザーンが「普遍的なメッセージ」であり、世界中どこでもムスリムが同じメッセージでこれを伝えていると話し、「アザーンがどの言語でなされるかはさほど重要ではない。これは普遍的なメッセージだからである。アラビア語であるかどうかという問題はともかくおいておき、アザーンはムスリムの普遍的なメッセージだ」と述べた。そして、にもかかわらず、このメッセージを民族問題化、エスニック問題化しようとする試みはまったく誤りであると強調し、次のように述べた。
「以前、トルコはこれで苦い経験した。苦い経験があるにもかかわらず、再び新たな形でこれをクルド語化しようとすること、アザーンというイスラム教徒のシンボル、普遍的なシンボルを、民族的な要素と同化させようとすることは、まったくの誤った試みである。しかしながら、残念ながら過激な民族主義が存在するときには、この種の逸脱が起こってしまう。世界のほかの地においてもおそらく然り。トルコにおいても、過激な民族主義がクルド民族主義の過激な様相の1つとしてでてくると、「アザーンをクルド語化しようと」いうところまでくる。しかしこれは普遍的なメッセージだ。」
普遍性と過激な民族主義の間には常に衝突や矛盾があり、普遍的な価値は過激な民族主義とは相いれないと述べるエルギュン産業通商相は、人種差別の域に到達した民族主義の観点から見ると、つまり、人種差別主義にまで至ったクルド民族主義においては、そもそも「クルド人の宗教がイスラムではなく、ゾロアスター教であればよかったのい」という主張があらわれ、こうした見方の人々からすると、「イスラムは、クルド人をトルコ化している」ことになっていると述べた。
エルギュン産業通商相は、トルコにも、人種差別主義の立場にいる民族主義者のなかには、「ムスリムではなく、シャーマニズムであればよかったのに」とみるものたちがおり、それゆえ「イスラム教は、トルコ人をアラブ化した」という考えをもっていると述べ、次のように話した。「つまり、あらゆる人種差別的理解は、普遍的なメッセージに反対するのだ。普遍的なメッセージが自身の人種差別的理解と合致しないと考え、より以前の時代へと回帰することを望んだり、あるいは、既存の民族的要素によって変形させることを望むのだ。これらはまったくの誤った試みであるし、彼ら自身もいずれ誤りであることに気づくだろう。なぜなら、これらは社会的に、賛同者を得られるものではないからだ。これは大きな逸脱の動きだ。この逸脱を選挙民は十分に考えることだろう。」
■トルコ宗教勤務者組合(Diyanet-Sen)は「人種差別」
トルコ宗教勤務者組合(Diyanet-Sen)東部アナトリア、および南東アナトリア支部代表によってなされた共同会見では、普遍的な呼びかけであるアザーンがトルコ語、クルド語、その他あらゆる言語で読み上げられることを望むのは、人種主義以外の何物でもないと発表した。
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( 翻訳者:萩原絵理香 )
( 記事ID:22810 )