書評:フザーマ・ハバーイブ『女王が眠る前に』
2011年06月12日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ 書評:フザーマ・ハバーイブ『女王が眠る前に』

2011年6月12日『クドゥス・アラビー』

【アンマン:本紙】

ベイルートのアラブ研究出版財団からパレスチナ人女性作家フザーマ・ハバーイブの小説『女王が眠る前に』が上梓された。

この新作でハバーイブは、告白調の物語が散りばめられた叙事詩的な語りを展開している。その感情的な頂点に達するとき、読者の心や思考はがっしりと捉えられ、読者の魂は悲哀や痛み、喪失、失われた喜び、至高の愛、不可能にも見える望まれし祖国といった諸々から作家が再構成する人生の折々に関わりつつ、彼女の言葉が敷き詰められた道を歩んでみたいという願望に満たされるのだ。

『女王が眠る前に』でフザーマ・ハバーイブは娘の物語を語ることを通じて、一人の女性が愛に言葉を発せしめ、私的にも公的にも敗北を最小限に抑えながら人生を突き詰め、存在における「比喩」を取り払った意味を解明し、偽りの想念としての祖国を手段に用いる姿を描き、苦痛に心塞がれ喪失に揺らぐ、茨に包まれながらも魅惑的な物語の頁を紡ぎだしている。この小説の女王とは母親であると同時に、娘なのだ。何故なら彼女たちはお互いに生きるための正当な理由、もしくは可能性としての理由を与え合っているからだ。

旅立ちや別れにつきまとわれる母は、終わることのない苦痛の旅の物語を語る。彼女にとっては成長していく娘の手の内にだけ慰めがあり、そこでまた別の物語が開かれる。相次ぐ語りの飛躍の中で、母は無意識のうちに娘をとどまらせようと試みるようであるが、娘は成長し、自らの自由を探し求める。その別離は母にとって、さらなる喪失を確かなものとする行為にほかならない。

しかしこの小説は、単なる母と娘の物語ではない。なぜならこの[母と娘の]つながりは、語りの中で重要性を付与されているとは言え、パレスチナ人女性の人生の包括的なイメージを提示する語りの手段として用いられているからだ。このパレスチナ人女性は祖国を失い、絶えることのない喪失と旅立ちと失望の連鎖のなかで、祖国の外で安全というものを全く感ずることがないままに生きている。

その失望は男/父、男/恋人、男/夫という3人の男たちの中で、最も苦痛に満ち、時には侮辱に満ちた姿を現していると言えよう。彼らはそれぞれのやり方で、彼女の個人的な歴史における苦悶に満ちた章を綴る手助けとなっている。彼女は代償として全ての人生を捧げるべく正統なる愛、母の娘への愛に専念しようとするとき、この愛を失うことを恐れ、いかなる代価を支払ってでもそれを留めおこうとする。その手段が物語りなのだ。

(後略)

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( 翻訳者:岸本聖美 )
( 記事ID:22874 )