ディヤルバクルで銃撃戦、トルコ軍兵士13人殉職
2011年07月14日付 Milliyet 紙


スィルヴァン郡における銃撃戦で、3人の上級軍曹を含む13人の兵士が死亡した。負傷者も7名いる。PKKのテロリストが、2名の兵士を含む3人を誘拐したのをうけ、この地域では捜索が続いていた。ハズロの軍警察の駐屯地にロケット弾が撃ち込まれたのをうけ、部隊はその追撃を行っていた。銃撃戦は、バイラムパシャ町とクルプ郡の間にある山岳地帯でおき、数時間続いた。銃撃戦のあと、山火事も発生した。

平和民主党が宣誓ボイコット危機打開のため、アンカラで折衝をつづけ、イムラル島刑務所のオジャランからは平和指向のメッセージが届いていた今日、ディヤルバクルから届いたニュースは、一転、トルコ中を悲しみにつつむものとなった。


先週おきた2人の兵士を含む3人の誘拐事件をうけ、この地域で、軍は、活発な軍事作戦を展開していた。作戦による捜索と追撃がつづいていたなか、今日、銃撃戦が発生した。ディヤルバクルのスィルヴァン郡とクルプ郡の間で、今日午後捜索を行っていた部隊は仕掛けられた罠にはまった。3人の上級軍曹、10人の一般兵からなる13人が殉職し、2人の重傷者を含む7人が負傷した。PKKのテロリスト、5人も死亡した。

先週金曜日にはじまった2人の兵士と1名の保健師の捜索の一環で、スィルヴァン郡のドラプデレ、クルプ郡のキュプリュ村の間で、捜索活動を行っていたスィルヴァン・コマンド部隊は、テロリストの仕掛けた罠にはまった。部隊が昼食のため休憩をとっていたとき、数地点から大勢のテロリストのグループが攻撃をしかけ、その最初の銃弾で3人の上級軍曹と10人の一般兵が殉職した。2人の重傷者を含む7名が負傷した。部隊の兵士も応戦し、5名のテロリストが殺された。

テロリストらは、火事を発生させて逃亡を図った。銃撃戦のあった地域には、ディヤルバクルをはじめとする周辺地域から援軍が派遣され、大規模な掃討作戦が実施された。ヘリコプターによる支援をうけた作戦は、現在も続いている。

テロリストの攻撃で負傷した7人の兵は、ヘリコプターでディヤルバクル軍病院に輸送され治療をうけている。

この地域では、先週の金曜日に、ディヤルバクル・ビンギョル国道を遮断したテロリストらが、アブドゥッラー・ソプチェレル下士官、ズィフニ・コチ上級軍曹、アイテキン・トゥルハン・ウズ保健師を誘拐するという事件がおきていた。PKKが1978年に設立されたフィス高原でおきたこの事件をうけ、誘拐された3人の救援のため、この地域では軍事作戦が続いている。

ディヤルバクル県知事によると、銃撃戦は、今日午後におき、軍警察がこの地域で地上からの捜索を行っているという。しかし、13人が殉職し、7名が負傷した点からみて、この周辺で、PKKが大規模な待ち伏せのため準備をととのえていたことは明らかである。

スィルヴァン郡の周辺で13人が殉職、7人が負傷したPKKテロリストによる襲撃の詳細が明らかになりはじめている。軍や諜報筋からの情報によると、6人からなるグループが、前もってこの地域に潜み10日間にわたって誘拐された3名の捜索活動を監視していたとみられている。情報によると、このグループから情報をえたPKK側のいわゆるスィルヴァン責任者が、攻撃司令をだしたという。襲撃には、バトマンやビトリスに潜伏するテロリストらも、支援のため参加した。少なくとも20人以上はいたとみられるテロリストらは、罠をしかけ、一定間隔で地雷を敷設した。軍に対し、4地点から、ライフル、手榴弾、火炎放射機で攻撃した。襲撃後に発生した山火事は、手榴弾と火炎放射機が原因になったとみられている。

■6人のテロリストは、負傷

軍の部隊は、盗聴その他の情報により、7名のテロリストが死亡、少なくとも6名のテロリストが負傷していることをつきとめた。負傷者のいることは、テロリストグループの逃走にも影響するとみられている。

■ボルやカイセリから、コマンド部隊投入

一方、ボルとカイセリの山岳コマンド司令部で、突然の事態にそなえて待機している職業軍部隊も、空路でディヤルバクルとビンギョルの山岳地帯に送られたことがわかった。襲撃に加わったテロリストらを捉えるため、ボルドーベレー帽部隊も作戦実施地域に送られたという。

■ディヤルバクルで追悼式

襲撃で亡くなった兵士らのため、明日(15日)、ディヤルバクル軍警察で葬儀が行われる。式には、イドリス・ナイム・シャーヒン内務相、ベキル・ボズダー副首相、ウシュク・コシャネル参謀司令本部長、ネジュデト・オゼル軍警察総司令官も参加する。

■デミルタシュ平和民主党党首、「これが最後の悲しみとなることを祈る」

ディヤルバクルで、民主社会会議(DTK)の会合に出席していたセラーハッティン・デミルタシュ平和民主党党首は、スィヴァンの襲撃に関し、記者団の質問に答えた。この事件を初めて知ったというデミルタシュ氏は次のように述べた。

「銃撃戦で13人の兵士が亡くなったそうだ。怪我人もあるという。何より、この件を非常に悲しく思っていることを伝えたい。亡くなった若者に神の御加護を、遺族の皆さんに哀悼の意を表します。トルコで今日まで、この問題、すなわちクルド問題のためにおきた銃撃戦で失われた全ての若者は、トルコにって、宝である。(双方にとっての)共通のもの、共通の悲しみである。政治が解決をみいだせず、政治が勇気ある一歩を踏み出せないことの代償を、今日、この若者たちが支払ったのだ。とても悲しい。これらすべてのことは、トルコで、政治的な手法が解決策を見いだすかわりに、政治的な手段を閉鎖させ、暗礁に向かわせ、未解決の政治を作りだしてきた、政治家の責任である。これが最後の悲しみとなることを願っている。」

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:23270 )