歌手アイヌール、コンサートの夜を語る
2011年07月17日付 Radikal 紙

金曜の夜、ジェミル・トプズル野外ステージが、「水の女たち」を聞きに来た人々で満たされた。18回イスタンブル・ジャズフェスティバルでブイカ、ラ・シカ、リタ、グケケリアとアイヌル・ドアンといった、「地中海の歌姫たち」が歌を歌うことになっていた。
クルド人歌手のアイヌル・ドアンが2番目の曲を終えて3番目に移るときに、何人かの観客が甲高い声を出し始めた。あるグループは、ドアンをブーイングして「殉職者らは死なない」と叫び始めた。2日前にスィルヴァンで13人の兵士が亡くなっていた。民主社会主義(DTK)が、自治を宣言した影響が続いていて、そのグループにとってはクルド人もクルド語もPKKを意味していた。舞台にクッションやペットボトルを投げ始めるとアイヌル・ドアンは、ステージを降りざるを得なくなった。最後の歌を歌わずに・・・続いてブイカがステージに上りトルコ国歌を歌った。
ドアンは昨日行われた記者会見で状況を次のように語った。「昨晩のコンサートで私にクッションを投げつけたということは、この国の一体性と友好、そして平和と民主主義の実現に向けた努力を傷つけようとするひどいクーデターであると私は理解する」
アイヌル・ドアンは、その夜について語った。

■野外ステージでその夜あなたが歌った2曲はどういった歌でしたか。歌えなかった歌はどういったものだったのですか?

3曲とも恋の歌です。一つは最新アルバムの中の一曲「レヴェンド」です。人々にとって最大の弊害は心の移ろいであると歌っています。「デラーレ」は、ホラサーン地方の恋の歌である。3つ目も、「デウデウ」つまりアイランの歌です。仕事をしている女性が、働かない男性に向けての一部分がありますが・・・・全く政治や政策についての内容はありません。

■観客からのブーイングとスローガンの声が高まったとき、あなたはどう思いましたか?

3つ目の歌に移ろうとした時、とても混乱しました。何が起きたのか理解できなかったのです。しかしこれだけは言わなければならない。大部分の人は、私へのブーイングに対して反感を示していた。そこにいた4,000人から4,500人いたとすれば、ブーイングをしていたのは400から500人だったのです。大部分は、そこに音楽を聞きに来ていた感性豊かな人であると私は思う。

■ステージに上がる前に、なにか緊張した状況になるのではという不安はありましたか。

それは単に昨日だけのことではない。トルコではいつでもステージに上がるときこの種の緊張を感じています。音楽家は、100%音楽のことだけを考えてステージに上がることを望みます、基本的には。しかし、この国では(クルド)問題が続き、私はクルド語で歌う歌手ですので、緊張を感じないことなどありえない。基本的にトルコではこうした心理状態のため、音楽に没頭できないままステージに上がっているのです。こうしたことが、私たちの仕事(歌を歌うこと)との間の溝を作っているのです。この不安を本当にお分かりになりますか?

■さて、一連のことに驚きましたか。

ジャズフェスティバルについて話しましょう。より一体化した、共感を抱くことのできる、そして違いを認めることのできる大衆を、芸術とは人々をまとめる力があることを信じる大衆を、私は望んでいます。この反感は私を驚かせました。とても混乱しました。私を心底悲しませたのは、そこでブーイングを受けたことの他に、このようなことが今も起こりうるということです。単なる恋の歌にさえも、これほどの不寛容さを示すとは、ほんとに悲しいことです。

■あの時、何か言うことを考えましたか。ことを大きくしないようにとステージから降りことを選んだのですか。何があったのですか、そこでは?

何が起こっていて、どうなるのか?そのまま続けるのか、その場で立ちつくすのか?あなたでも、あのような瞬間はあらゆることを考えるでしょう。何をしたらいいのかわかりませんでした。しかし、希望を失わないように努めています。なぜなら、昨晩私が気付いたことは、これらは少数派であるということです。大多数の人々は本当に平和と友好を支持している。少数派が私達に何年もの間、大多数派であるかのようにふるまっていることが、問題を大きくしているのです。

■ブーイングを許したとおっしゃいましたが。

私は許しました。重要なのは彼らが彼ら自身を許すことであります。

■「水の女たち」の他の歌手は何と言っていますか。この事件をほかの言語で外国人に表現することは可能ですか。

彼女たちも理解できず驚いていた。「恥ずかしく思う」と彼女らは述べました。もちろん彼らに説明することも難しい。昨日から今日までトルコの歴史を説明しなければなりませんから。

■あなたとしては、トルコは、今回の出来事から何を学ぶべきだと思いますか。

私としては、皆が学ぶことが必要だと思います。最もきちんとして明白なそして敏感な部分にさえ干渉されうるとしたら、政治的な利益のために利用されうるとするなら、私達はこれについて考えなければならない。あの場ではギリシャ語でも歌われましたし、スペイン語でも、ラディー語でも。同じ場所で何世紀もの間、共に生きていた人々の言語に我慢できなかったのですから。

■1曲でもトルコ語で歌っていたらという非難がありますが。

しかし、このプロジェクトには私が歌ったクルド語の歌のため、私も参加したのです。同時に、プロジェクトのアルバムもでました。アフリカ出身の歌手とも私は歌うことができます。このことの核心的意味を探ろうともしない!世界中のフェスティバルで、クルド語で歌っています。しかし、トルコからやってきた歌手、一人のトルコ人として私は招待されているのです、そこには。さらに、近々ハンブルクで大きなフェスティバルも行われる。招待(ゲスト)国はトルコになっており、(その代表として)私は2回コンサートを開く予定だ。

■あなたにブーイングをした人、あるいは、彼らを支持した人が、社会的なメディアで次のように述べている。「つい最近、衝突があり、葬儀が行われた。少なくともこれについて一言あったなら・・・」。クルド人の歌手であるあなたに、この意味で、何らかの義務はあるとおもいますか?

これは信じられない。もし、歌によって、芸術によって与えられるメッセージが届かないなら、これらと一つになれないなら、あなたが何を言おうと理解などできない。昨日だけではない。それ以前の長年にわたるつらい出来事がある。私は希望を持ち続けるようにつとめている。この国で、平和と友好が訪れることを望んでいる人が悲しむこと、そして辛い思いをすることも、私を悲しませている。全ての亡くなった人々のために私は悲しんでいる。痛みを味わったすべての人のために悲しんでいる。もはや、この問題は解決されるべきである。いまだに、あの人はあれで、この人はこれで・・・世界の他の場所に行くと、もはやこうしたことで頭を悩ます必要はない。頭を悩ませたら、やっていられない。なぜ、私達の間にこれほどの距離があるのか。なぜこのような壁を築くのか。2、3日前にオランダで世界で最も大きなジャズフェスティバルに私達は参加していた。そこでの反応とここでの反応を比べている。本当に私は自分をかわいそうだとは思っていないが、この国をかわいそうだと思う。

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:23315 )