スィルヴァンPKK襲撃事件、トルコ軍側の落ち度も濃厚
2011年07月20日付 Yeni Safak 紙
ディヤルバクルのスィルヴァンで13人の死者と7人の負傷者が出たテロ攻撃に関し、軍の怠慢を指摘する声が強まっている。スィルヴァン‐ハズロ‐クプを結んだ三角地帯に位置するドラプデレ郊外の丘が何年もの間、軍事作戦を実行する部隊によって「臨時基地」として使われていたことが明らかになった。軍事衝突現場で銃弾などの残がいを処理する中、基地として使われていた場所からは何年も前に、作戦に参加した軍人らが捨てたと見られる、錆びて朽ちた缶詰やコーラのケースが見つかった。テロリスト側が放った爆弾などにより発生した火災のあとからは、MP3プレーヤーやUSBケーブルなどの形跡が見つかったことからも、軍人たちが現場で非常にリラックスしていたことが伺える。テロ組織PKKの攻撃によって13人の軍人が犠牲になった基地では、重大な怠慢が疑われる。基地として選ばれたセミリー丘に軍隊が駐屯していることは、ドラプデレ村の子供から周辺の村々まで誰もが知っていることだった。というのも、長年の間、軍隊は全ての作戦でこの丘を基地に選んでいたからだという。軍部は、作戦を実行する際に、「対諜報活動(カウンター・インテリジェンス)」を全くしていなかったということになる。セミリー丘は一見、周囲を見渡せるようになっているが、実際は周辺監視に適したもっと高い丘がある。それでもこの場所を選んだ理由は何だったのか、その回答が求められている。丘の東側の高いところから激しい攻撃にさらされたということは、これらの場所のいくつかの痕跡からうかがい知れる。基地の西側では、見張りをしていた軍人がカバンのひもなどで日差しを遮るテントを張っていたことがわかる。このテントの中で音楽を聴いていたことが、焼けたMP3プレーヤーやUSBケーブルから推測される。衝突があった場所は遠くからでも攻撃が可能な状態であった。そのためにかなり貧弱ではあるがPKKがまだ手放すことのないPK機関銃により、基地のある場所は高い丘から攻撃にさらされ、守備位置とされた場所で5メートル先をも見通せなかった軍人たちに接近することが可能であったと思われる。ドラプデレと基地の間を見通せる二つの守備位置の5メートル先には、カラシニコフ自動小銃の空の弾倉が大量に残っていたことも、PKKの兵士たちが遠近両方から攻撃してきたことを物語っている。
衝突現場を軍事エリアと宣言
攻撃のあと、新聞記者らが現場に入り銃弾の跡や拠点の様子を報道したことから、軍部は軍事拠点を一掃した。今では焼けた軍服からリュックサックまで、現場には一切痕跡が残っていない。また、ドラプデレ村の住民が現場へ立ち入ったり、インタビューを受けたりすることについても制限されている。郡の役所が住民を集め、情報提供(制限)に関する書類に署名を求めた。住民は「今回の場所は軍事エリアであり、不発弾などが残っている可能性があるため決して立ち入らないように」と言い渡された。
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( 翻訳者:湯澤芙美 )
( 記事ID:23357 )