ケマル・ブルカイ帰国
2011年07月31日付 Zaman 紙


クルド人政治家で作家のケマル・ブルカイ氏の、31年前に始まった亡命生活が昨日終わった。長女のヘリン・ブルカイ氏や友人らと共に、 12時20分に飛行機でストックホルムを離れたブルカイ氏は、17時30分にトルコに到着した。スウェーデンで自身を見送りに来た友人らにクルド語で別れ の言葉を言ったブルカイ氏は、アタテュルク空港では混雑のためスピーチを行うことはできず、周りの人にただ「こんにちは」としか言えなかった。

74歳の有名なクルド人作家は、朝9時30分ごろにブリーフケースと二つの小さいスーツケースをもって家を出て、自身を31年ぶりに故郷のトルコに連れて行く飛行機に乗るため、ストックホルム空港に向かおうとしていた。スウェーデンにある自宅を出たとき、あわててひげを剃ることさえ忘れていた。シリアとの 国境から不法に出国し去った祖国に到着する興奮を感じていた。

ケマル・ブルカイ氏は、昨日ヨーロッパにおける亡命生活に終止符を打ち、トルコに帰国した。ス トックホルム空港では娘のディラン氏、孫のベルチェム氏とロジダ氏、おいのムラト・ブルカイ氏、作家のユルマズ・チャムルベル氏、数人の友人らが彼を見 送った。30分遅れて12時20分に出発したトルコ航空の便に乗る前に、見送りに来た人たちの中にいた7歳のスラ・トイガルちゃんと彼が交わした会話は、 彼の立場を要約したもののようであった。

「おじいさんは初めてトルコに行くの?」と女の子が尋ねると、「31年ぶりに行くんだよ」と答えた。スラちゃんが、「へえ、私は 4‐5回行ったよ」と言うと彼は、諸事情のため今まで行くことができなかったがもう状況が変わり、トルコに行くことに障害は残っていないと説明した。このとき空港で自身に向けられた関心を見ると、「スウェーデン人の空港関係者は、私を昔の俳優だと思うだろう」と周りの人をからかった。

トルコへ帰国する際、飛行機には娘のヘリン氏と10人ほどの友人が同乗した。元政治家のブルカイ氏は、飛行機に乗るとまずトルコの新聞を欲した。参謀総長と軍司令官らが辞意を表明したことに関する記事を読んだ。どう思うか質問されると、コメントしたくはなかったが、「それほど何か言うようなことではない。 しかしトルコは変化しており、社会、機関、人々の考え方が変わるのは重要なことだ」と話した。

トルコ領空内に入ると、新聞記者と、同行していたチームは、何 年も前にテロリストのリーダーであるアブドゥッラー・オジャラン氏をケニアから連行した特殊部隊が、トルコ国内に入るときに言った言葉を引用し、「さあ、 あなたに何と言おうか?『祖国にようこそ』とでも言おうか?」と冗談を言った。

ケマル・ブルカイ氏は、飛行機の窓から集合住宅を見て驚いた。かつて、娘のヘリ ンがまだ6歳だったころ(現在44歳)住んでいたキュチュク・チェクメジェの上空を飛行しているとき、そこでの思い出を話し、チェクメジェに関する詩を書いたと話した。飛行機は17時30分ごろに空港に到着し、客室乗務員は彼に「ようこそ」と言った。アタテュルク空港で待っていた歓迎委員会はイスタンブル県の許可で搭乗ゲートまで来て、彼に花を渡した。

スウェーデンのパスポートで来たブルカイ氏は、外国人用でもトルコ国民用でもなく、外交パスポート所持者用の入国審査窓口を1番目に通過し、自身を待つ人 たちの混雑の中に入った。ここでは彼を、双子の娘ベリヴァン氏とエヴィン氏を含むおよそ500人の群衆が出迎えた。しかし混雑のため彼はスピーチをすることができなかった。周りの人にただ「こんにちは」としか言えなかった。自身をホテルまで乗せていくタクシーまでの道がつくられ、どうにか車までたどり着い た。今日は報道関係者と友人らの前でスピーチを行う。

「私はストックホルムではクルド語で別れの挨拶をしました。なぜなら私を見送りに来ていた人の多くはクルド人だったからです。ここではトルコ語で『こんにちは』と言います」と述べた作家のブルカイ氏は、3日間タクスィム・ヒル・ホテル に滞在する。今日の記者会見と友人らとの再会もここで行われる。その後双子の娘や他の親戚を訪問する。歌手のセゼン・アクス氏が歌った「微笑んで」という名の曲の作詞者であるケマル・ブルカイ氏は、今日の会合にセゼン・アクス氏も招待した。しかし仕事が多忙なため来られないかもしれないとの返事を受け取った。ホテルへ 向かう前、「それでもお越しくださればうれしいです」と付け加えた。

■VIP級の出迎え

トルコ航空の定期便で、今まで住んでいたストックホルムからイスタンブルに来たブルカイ氏は、家族、親類、ファン、野次馬によって出迎えられた。双子の娘 ベリヴァン・カヤ氏とエヴィン・ブルカイ氏、めいのセヘル・ディロヴァン氏、正義自由党のバイラム・ボズベイ党首を含む群集によって出迎えられ、ブルカイ氏のためにハライが踊られ、スローガンが叫ばれ、自身がつくった歌が歌われた。自身が作詞者である「微笑んで」もその中の一つであった。

空港でVIP級に 出迎えられたブルカイ氏は、外交官用の外交窓口でパスポートの手続きを行った。彼はここでイスタンブル県副知事のアフメト・アイドゥン氏に迎えられた。非 常に広範囲に敷かれた警備体制の中で行われた出迎えでブルカイ氏は、VIP待遇された。到着すると赤いカーネーションで出迎えられたブルカイ氏のために 「自由と平和のシンボル、ようこそ」と書かれた横断幕が開かれた。出迎えに来た「若き市民」グループは、イェニ・テュルキュという音楽グループの、(ブルカイ氏作詞の)ママク民謡を歌った。また「天気は変わる、和解となる。ようこそ。微笑んで」と書かれた横断幕を持っていた。

セヘル・ディロヴァン氏も、おじのブルカイ氏と対面した瞬間を、「これは夢のようなことです。信じられるようなことではありません」と話した。トルコはもう変わったとしたディロヴァン氏は、「いつも夢見ていました。その夢は今日実現しています。ブルカイは、この国の平和に貢献する重要な人です。常に暴力と武力闘争に反対していました。今日はみな同じ地点まで来ました」と述べた。

■ 娘のベリヴァン・カヤ氏:「今日のような日を想像することさえ難しかった」

今日のような日を想像することさえ難しかった。この国は2回のクーデタを経験した。何十万人もの人が拘束され、刑務所に収監され、拷問を受けた。そのうち 何千人もが国外に逃げた。トルコでは民主主義化の過程は多くのクーデタを伴った。私たちはクルド問題と共により苦しい時をすごした。この暗い日々の後、 このような希望が生まれている。私たちは以前、ただ生き残る努力をした。希望は最近数年に生まれた。かつて私たちはクルド人であることを言うことができな かった。私たちは非常に重要な地点まで来た。これは共通の喜びです。私の喜びと幸せはそれに関するものです。彼は31年間の亡命生活が終わり、祖国へ戻りました。政治家でもあり、芸術家でもあります。彼は今日までいいことをしてきました。これからもそうし続けるでしょう。私は特に、クルド問題解決に関して、共同の取り組みがなされる必要があると考えています。この点で期待しています。


(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:23496 )