Metin Munirコラム:クルド問題におけるアイデンティティと経済
2011年08月13日付 Milliyet 紙

昨年9月、私はヴァン県、ビトリス県、ハッキャーリ県で数日を過ごした。久しぶりに訪れたこの土地でもっとも私の目を引いたのは、東部にあったあの古臭くて眠たげな停滞した雰囲気と非常に異なる活力の存在だ。インフラ整備や公共サービスが確かに充分に行われていた。

かつてトルコで一番発展していない町のひとつであったビトリスが、近代的な街に変わっていた。アンカラは、単に財布の口を締めるだけの、それらの町に派遣する官僚をも変えていた。不機嫌顔で権威主義的な知事の椅子には、若くて、何かを成す為に心から力を尽くす人が着いていた。

■同化政策は無駄

テロが終結した場合、これらの地域が大きな前進を遂げ、このことはトルコ全土へ大きな貢献を行うのがわかった。そして当時特に気に留めていなかった問題を、社会学者ヌル・ヴェルギンが東西誌で発表した論文を読んだとき思い出した。

公正発展党はこれらの地域に特別に力を入れたのは明白だ。これは、ただ伝統的に無視されてきた地方に、遅ればせながらのサービスを導入するため行われたのか。もしくは同程度に旧来ながらの同化政策がより洗練された方法でなされたのだろうか?

政府はこの地域の生活水準をトルコ西部のレベルにまで引き上げ、クルド人をPKK/平和民主党と磁場から遠ざけたいと望んでいるのだろうか?同化はラテン語のassimilatioという単語を語源としており、その意味は「似た状態にする」である。もし、目的が東部と西部の格差を無くし、クルド人をトルコ人に「類似」させることなら、このクルドとトルコの2つの社会を「同化」させることは、無駄だ。

ヌル・ヴェルギン氏が論文で明らかにしたように、「アイデンティティ問題は…同化が望まれる民族的・文化的グループに国が物質的な保証をすることで解決される問題ではない。」

■経済だけは説明できない。

「そうではない」と続けるヴェルギンは「なぜならアイデンティティ問題が経済的な豊かさを保証することで解決されることは、世界中のどこであってありえない。このような考えは、政治的近視眼が描いたものだ。アイデンティティをわかってもらいたいと望む人々への侮辱とは...もっと工場、高速道路、プール付きの家、経済的豊かさ、ショッピングセンターをと(働きかけて)、人々のアイデンティティを棚上げにして、同化が相手を喜ばせることと想像することだ。

「たとえば、カタルーニャ人やバスク人がカスティリア覇権のもとでスペインに存在することを拒絶している理由を認識できないこと。でも、彼らはスペインでもっとも富裕な民で、かつかつで過ごして中央からくる援助を待っているわけではない。スペインの他地方のために彼らが富を確保しているのだ。

「つまり、一国の中にある異なるアイデンティティを政治的に解決するというのは、単に経済で語られるような種類の問題ではない。」私の望みは、アンカラで東部政策を進める者たちが「思想の古物市の中で」滅多に聞かれることのないこの知恵深い言葉を聞くことだ。

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( 翻訳者:山本涼子 )
( 記事ID:23633 )