バイラムを迎えたムスリム、世界各地で礼拝に集う
2011年08月31日付 Yeni Safak 紙
イスタンブルのスレイマニエ・モスクで礼拝を執り行ったメフメト・ギョルメズ宗務庁長官は、「世界は、預言者ムハマンマドの今を生きる代弁者であるあなたたち、私たちから希望の灯火を待っている。人々は、イエスの微笑み、ヤコブの忍耐を望んでいる。ヨセフの吉報を待っている。アブラハムの冷静さを期待している」と語った。
国中でそうであるように、イスタンブルで暮らす人々もバイラムの喜びを、皆と共に分かち合える場所で味わった。イスタンブルの人々の大多数がバイラムの礼拝の場としてスレイマニエ・モスク、エユップ・スルタン・モスク、ファーティフ・モスクを選んだ。
市内のモスクはイスタンブル各地から来訪した人々であふれた。メフメト・ギョルメズ宗務庁長官は、スレイマニエ・モスクでバイラムの礼拝を執り行った。礼拝の後フトベ(説教)を行ったギョルメズ宗務庁長官は、「トゥヴァ谷で『私は主の火を見た』と喜ぶモーセの希望を広めるために私たちはここにいる。戦争と苦しみに打ちひしがれている世界は、預言者ムハマンマドの今を生きる代弁者であるあなたたち、私たちから、あたたかい希望の灯火を待っている。人々は、イエスの微笑み、ヤコブの忍耐を望んでいる。ヨセフの吉報を待っている。アブラハムの冷静さを期待している。異なる出身地、異なる言語、異なる人種、異なる年齢、異なる文化からなる何百万人もの人々が今同じ喜びに包まれていること、まさしく今のあなたたちのように隣りあって座り、同じメッカの方向に身体を向けていること、これらは慈悲を欠いた人々が新たに慈悲をまとうための合図の火花だ」と述べた。フトベ(説教)に続いてギョルメズ宗務庁長官は、フセイン・アヴニ・ムトゥル イスタンブル県知事、スレイマニエ・モスクのイマーム(宗教指導者)、市民たちとともにバイラムを祝った。
一方で、ラマザン月の間テラーヴィフの礼拝(訳注:ラマザン月にだけ、夜の礼拝のあとに行われる、特別な礼拝)で満員になった各モスクでも、ラマザン明けに市民がバイラムの礼拝のため列をなした。スレイマニエ・モスクと同様、エユップ・スルタン・モスクにも、トルコ中から、またイスタンブル各地から人々が押し寄せた。早朝にモスクを満員にした何百人もの人々は、モスクの中庭でも列をなしていた。老若男女、フトベ(説教)に耳を傾けた礼拝者たちは、その後バイラムの礼拝を行った。「アッラーは偉大なり」と唱えた礼拝者たちは、モスクの出口でバイラムを祝い合った。
■ クッキーを配布
市民は礼拝の後、エユップ市自治体がふるまったチャイとクッキーで軽食をとった。市民の共通の願いは、やすらぎの中でバイラムを祝うことである。イスマイル・カヴンジュ・エユップ市長は、モスクの出口で市民のバイラムを祝った。カヴンジュ・エユップ市長は、「今日は素晴らしい日。みなで一緒にイスラム世界のバイラムを祝っている。エユップ・スルタン・モスクをこよなく愛するものとして、何百人、何千人もの私たち市民とともにここでバイラムを祝うつもりです。この国がやすらぎの中でバイラムを過ごせるよう願っている。ラマザン・バイラムが8月30日の戦勝記念日とちょうど重なったことも嬉しい」
■ 殉職者墓地は悲しみに包まれる
イスタンブル・エディルネカプ殉職者墓地は、ラマザン・バイラムの間、殉職者の近親者たちで溢れかえった。早朝の時間から市民は殉職した子、夫、兄弟、父、そして親戚のために殉職者墓地につめかけた。近親者を亡くしともにバイラムを過ごせない人たちは、涙にくれながら祈りを捧げた。第一軍所属連隊の兵士たちが殉職者の家族とともに祈りを捧げる姿も見られた。墓に殉職者の好きであった花を供える市民もいれば、数分間の間涙を流す市民もいた。殉職者の近親者の中には、墓に持参したチョコレートをほかの参拝者にふるまう人もいた。また、殉職者墓地ではバイラムのために特別警戒体制がとられた。墓地には救急車も待機していた。
■ 教会からも食事のふるまい
歴史的なファーティフ・モスクも、例年同様に今年も、大勢のイスタンブル市民がバイラムの礼拝の場に選んだモスクの1つである。ファーティフ・モスクでは、バイラムの祝福においてこれまでの記録が塗り替えられた。バイラムの礼拝の後、ファーティフ市自治体から1万人に軽食がふるまわれたのである。モスクの中庭にセットされたテーブルで、礼拝者にスィミット、クッキー、チーズ、チャイがふるまわれた。スレイマニエ・モスク、スルタンアフメト・モスク、スゥンビュル・エフェンディ・モスクでは、8000人の市民に温かいスープがふるまわれた。礼拝の後、スープをもらうために並ぶ市民たちは長蛇の列になった。また、バイラムは単にイスラム教徒たちだけのものではない。バイラムは、イスラム教徒とイスラム教徒以外の市民の間の架け橋となった。たとえばフェリキョイ・アルメニア教会では、先鞭をつけて、ラマザン・バイラムに際してシシュリ地区の住民にふるまうバイラムの食事を準備した。フェリキョイ・アルメニア教会関係者は、この日、イスラム教徒のために昼食をふるまう予定である。教会の庭に用意される食事では、教会関係者がラマザンの間断食をしていたイスラム教徒をもてなす予定である。
■ この日ガザのこどもたちは
何年間も禁輸措置が取られ厳しい日々を送っているガザ地区でも、ラマザン・バイラムを興奮の中祝っている。世界中どこにおいてもそうであるように、バイラムを最も喜ぶのは、やはりこどもたちであった。早朝からバイラム用の特別な服を着たガザのこどもたちは、町に繰り出し思い切り楽しんだ。動物の格好をした何人かのボランティアたちがこどもたちを楽しませている姿も見られた。また一方で、ガザ地区のイスラム教徒たちは、バイラムの礼拝をハン・ユーニス(訳注:ガザ地区の都市)の野外広場で行い、2000人近い人々が参加した。パレスチナ人はここで礼拝をするため、用意された空き地で列をなした。ガザ地区の住民はバイラム明けに割礼を受けるため、バイラムの礼拝をモスクのかわりに野外広場で行っている。
■ムバラク政権崩壊後、タハリール広場で最初のバイラム
エジプトでは、30年間続いたムバラク政権に終止符が打たれてから初めてのラマザン・バイラムを、興奮気味に祝った。カイロのエル・ムヘンディスィン地区では、2万人の人々が、肩を並べて礼拝をした後、自由のシンボルとなったタハリール広場に群がった。イスラム教徒たちは、いくつかの地区で市民にバイラムのもてなしをした。
■ ヨーロッパではモスクが不足
ヨーロッパでのバイラムの喜びも、イスラム世界の他の地域に引けをとらない。ドイツ、フランス、オランダを始めとするヨーロッパ各地で、イスラム教徒たちが肩を並べて(礼拝のため)列をつくった。たとえば、ドイツの首都ベルリンでは、シェヒットリッキ・モスクに集まった出稼ぎ労働者のトルコ人たちが、礼拝に続き、バイラムを祝いあった。また、オランダでは、外国人が多く住むアムステルダム、ハーグ、ロッテルダムといった都市で、礼拝者がモスクに収まりきらなかった。
■ ここモスクワでは
ロシアの首都モスクワでは、バイラムの礼拝のため、メルケズ・タタール・モスクに収まりきらなかったイスラム教徒たちが、路上で礼拝を行った。5万人が参加したこの礼拝を執り行ったロシア・ムフティー協会ラヴィル・ガイヌディン会長は、メルケズ・タタール・モスクの建設に関して法的な問題が取り除かれるべきであるとした。ガイヌディン会長は、シナゴーク、教会、モスクをともに受け入れているロシアでは、イスラム教徒は客人ではないと強調した。
■ 仲間同士で祝福の抱擁
ルーマニアでは、イスラム教徒たちでブカレストとドブロジャの地区のモスクがあふれ、世界の平和とアフリカで厳しい状況におかれている仲間たちのために祈りを捧げた。礼拝の終了と同時にバイラムの祝福もモスクの中庭で始まった。興奮に包まれ大勢の人たちが互いに抱き合った。礼拝が終わりモスクから出た人々は、バイラムがすべての人に幸せをもたらすようにと望んでいた。
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( 翻訳者:萩原絵理香 )
( 記事ID:23808 )