ファーテメ・ラジャビー「2009年の大統領選挙ではアフマディーネジャードに投票したくなかった」
2011年09月08日付 Mardomsalari 紙

 「ファーテメ・ラジャビー」の名を知らない人は、今や少数派と言っていいだろう。彼女は故アーヤトッラー・ラジャビー=ダヴァーニーの娘で、〔第一次アフマディーネジャード政権の時代に司法相兼政府報道官を務めた〕ゴラームホセイン・エルハーム氏の妻であるが、何よりも彼女の名を人口に膾炙させたのは、第1次アフマディーネジャード政権〔2005~2009年〕の時に『アフマディーネジャード、三千年紀の奇跡』なる著書を発表したことである。彼女はこの6年間、急進的な立場から多くの政治関係者らを極めて辛辣に批判してきたが、そのために〔司法から〕制約を受けるようなこともなかった。

 さて、そんな彼女であるが、先日ニュースサイト「マシュレグ」とのインタビューのなかで、〔現代イランにとっての〕最大の懸念材料として文化問題を取り上げ、次のように述べた。

今日の我が社会の諸問題に対して、宗教的・国民的・社会病理学的視点から関心を抱く人なら誰もが、最大の懸念は家族の維持をめぐる問題だと言うでしょう。我が社会が今陥っている最大の災厄とは、家族の崩壊なのです。残念ながら、我が社会はあまりに政治化しているために、一般市民や国の責任者たちの見方にも、一種の歪みが生じてしまっています。すべての問題が政治的なものに吸収されてしまっているのです。われわれは皆、新たな政党や集団を結成して、国会や政府を手に入れよう、そうすれば社会やイスラーム、そして革命〔が陥っている病理〕を直すためのクスリが見つかるはずだ、などという考えにはまってしまっているのです。

 ラジャビー氏はさらに、次のように指摘する。

結婚年齢をめぐる問題もあります。ターリバーンがアフガニスタンを攻めていた時、ハータミー政権はこの問題に関して、反イスラーム的な宣伝・策略を開始しました。それによって、宗教について話す者は皆、ターリバーンの一味であるかのように呼ばれる風潮が、国に生まれてしまいました。実際、テレビでは連日、ターリバーンの犯罪行為が喧伝されていました。こうしたターリバーンの犯罪行為の一つとして、15歳の娘が嫁がされるといった問題が取り上げられました。しかしこれ〔15歳の娘が結婚すること〕は果たしてシャリーアに反する行為だったのでしょうか。この結婚がどのようにして実現したのか、立ち止まって考えるべきではないでしょうか。

※訳注:1990年代後半のハータミー政権の時代、アフガニスタンを支配していたターリバーン政権とイランは政治的・軍事的にも、イデオロギー的にも厳しく対立した。以来、イランはワッハーブ派に由来するターリバーン流のイスラーム理解を逸脱したものとして強く批判している(ターリバーンも国内のシーア派を厳しく弾圧した)。

 同氏はさらに続けた。

果たして女は男と同等な存在として創造されたのでしょうか。女は男と競い合うために創られたのでしょうか。男がいるところに同じ様に進出するために、女は創造されたのでしょうか。もしそうなら、なぜ神はこのような創造を行ったのでしょうか。ある集会で、私は言ったことがあります。「男の性だけから子孫を残すことができるように、人間を創造することができないほど、神は無力だったなどとあなたはお考えですか。いうまでもなく、神には〔男の性だけから子孫を残すことができるように人類を創造することが〕できるのです。ではなぜ、女という名の第二の性が〔神によって〕創られているのでしょうか」。残念なことに、我が体制の責任者たちは、バランスシート的な発想で仕事をしています。つまり、大学や職で女性により多くの枠を割り当てていることを誇りに思っているのです。文化をめぐる問題は、元の位置に戻す必要があります。正義の意味とはまさにここにあります。つまり、すべてをそれ本来の位置に戻すということです。〔‥‥〕

 ラジャビー氏は、「私はアフマディーネジャード氏の熱烈な支持者でした」と述べた上で、次のように言明した。

彼が〔‥‥〕語の本当の意味で、マフディー言説を追い求めていることが分かりました。笑ってしまうかもしれませんが、調べて頂ければ分かると思います。後部に〔「おお、マフディーよ」などと〕「時のイマーム」〔=第12代イマーム・マフディー〕への呼びかけが書かれている車が、アフマディーネジャード氏が大統領になってから増えているのです。〔‥‥〕私が彼を支持するようになったのは、こうしたこと〔=アフマディーネジャードによってイランに宗教的雰囲気が濃くなってきたこと〕が理由でした。

 彼女はその上で次のように続けた。

女性のスタジアムへの入場に関する問題が起きた時のことです。この問題は、当時私にとって予期しないものでした。この場で初めて告白しますが、互いに協力関係にあったあるメディア関係者に、「アフマディーネジャードが女性問題でこんな考えをもっているとは知らなかった」と漏らすと、この人物は私に「彼がテヘラン市長だった時から、女性に対してこういう考え〔=女性も男性と同じようにサッカースタジアムに入っていい、男性と女性を厳格に分離するべきではないといった考え〕の人物だったことは、みんなが知っていたことだ」と言ったのです。「もし知っていたら、彼に投票しなかった」と私はつぶやいたものです。〔‥‥〕

 ラジャビー氏は自分が抱いている「文化的懸念」について触れ、次のように述べた。

この流れは、第10期政権〔=第2次アフマディーネジャード政権〕にまで続いています。実際、こういった問題を見てしまった以上、私は〔2009年の大統領選挙で〕アフマディーネジャード氏に投票したくはなかったのです。もし文化問題や女性問題への対処をこういう形で追求すれば、さらなる問題を引き起こすだろうと私は考えていたのです。しかし結局のところ、第10期選挙に出馬した他の候補者をみた限りでは、アフマディーネジャードが好ましいだけでなく、国にとって救世主的な存在に見えたのです。

私は大統領に、抗議の公開書簡を送ったこともあります。〔‥‥〕私はこれまで5回、書簡や記事という形で、女性閣僚の登用への異議を唱えました。また、アフマディーネジャード政権の文化政策についても、改革派のやり方の延長線上だ、文化の領域で何ら新鮮味のあることをアフマディーネジャードは生み出していない、と指摘したこともあります。とはいえ、私は今も、アフマディーネジャードを支持しています。

 ラジャビー氏は「民主主義」と「宗教」について、「〔‥‥〕今ある害悪は、民主主義に関連したものです。民主主義は宗教と調和しません。残念ながら、この30年間、この考え方〔=民主主義〕が一般に普及してしまいました。イマーム〔・ホメイニー〕は一言も「民主主義(デモクラシー)」に言及したことはありません。〔‥‥〕しかし国を理論的・実践的に主導してきた人々は、民主主義を体制の根幹に据えてしまったのです」と指摘した。

〔‥‥〕

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:23891 )