PJAKの副司令官を殺害:革命防衛隊、国境地帯の安全が確保されるまで反革命分子の追跡を続行
2011年09月08日付 Jam-e Jam 紙

 イスラーム革命防衛隊による作戦行動の結果、テロ組織PJAK(ペジャーク)の副総司令官が殺害された。

 革命防衛隊の広報サイトが伝えたところによると、マジード・カーヴィヤーニー〔PJAKの副司令官〕はシャフリーヴァル月12日(9月3日)、革命防衛隊陸上部隊によるテロ組織PJAKに対する作戦行動の結果、死亡した。

 バーネ出身のマジード・カーヴィヤーンは、セムコ・サルホルダーンという偽名でPJAKの副総司令官として同テロ組織に加わり、活動を行っていた。彼は1999年からトルコ・PKKのテロリストたちに加わり、2003年PKKによって分派のPJAKが設立されると、同組織でテロ活動に従事するようになった。

 ISNAによると、PJAK総司令官も声明を発表して、セムコ死亡の報を確認し、「PJAK副司令官は砲弾の破片が当たり死亡した」と語った。

 同テロ組織のイラン領内への軍事攻撃が原因で、革命防衛隊は彼らへの対抗措置に着手、現在まで同組織に多大なる損害を与え、4日前にはついに、このテロ組織が戦闘の停止及び停戦を申し入れるまでになった。革命防衛隊はすぐさまこの申し出を拒否し、同テロ組織がイラン国境から撤退するまでは停戦への話し合いは無意味だと強調した〔…〕。

 〔‥‥〕

 PJAK、あるいはクルディスターン自由生命党は、2003年に設立された新興のテロ集団である。
〔※訳注:原文には「2005年」とあったが、「2003年」の誤字と判断した〕


 実はPJAKはクルド労働党(PKK)のイラン別働隊で、PKKは1355年〔1976年〕マルクス主義イデオロギーと武装闘争路線を掲げて、トルコで産声を上げた。同組織の構成員はその2年後トルコを追放され、シリアやレバノン、イラクといった国々に逃亡、トルコとの国境地帯に潜伏した。

 1372年〔1993年〕、PKKはトルコ国境地帯でトルコ軍との激しい戦闘に突入し、トルコ軍はイラクのクルド人らの支援を得て、彼らをイラク・ガンディール高地に駆逐した。

 1382年〔2003年〕にアメリカ、EU、そしてカナダが同党をテロ組織のブラックリストに加えたことから、PKKは閉塞状態からの脱却と欧米諸国の一層の支援を得るために、イランと闘争するための組織としてPJAKを立ち上げた。

 PKKの旗の下で行われたPJAKの活動は、1384年〔2005年〕以降、現在に至るまで、軍事的な性質を有するものだった。革命防衛隊陸上部隊による作戦行動の責任者であるハミード・アフマディー大佐によると、この間彼らからは相当数の死者が生じたという。イラン側も多数の殉教者を出していることは、周知の通りだ。

 この両テロ組織の構成員、ならびに我が国の西部山岳地帯に潜伏する暴徒らの軍事的動きが活発化していることに伴い、先月からイランとトルコ両国はPJAKとPPKが巣食う山岳地帯への爆撃に着手している。アメリカの安全保障政策の関係者は、PJAKには3000名の武装勢力がいると推測している。

 情報筋によると、テロ組織PJAKは地元の村民らを恐喝したり、地域での麻薬密売に手を染めたり、ヨーロッパでの経済活動に従事したりすることで、収入の一部を確保しているとされている。

〔‥‥〕

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( 翻訳者:米川千帆 )
( 記事ID:23975 )