元大統領顧問、「逸脱グループ」の「古代主義」を批判
2011年09月05日付 Mardomsalari 紙

 ナーセル・サッガーイェビーリヤー氏はメスバーフ=ヤズディー師の弟子の一人だ。同氏は、第9期政権が発足してすぐに、宗教問題担当の大統領顧問に任命され、1389年〔西暦2010年3月〜2011年3月〕後半までこの職にとどまった。この5年間閣議に出席し続けた同氏は、アフマディーネジャード政権内にいる「逸脱グループ」の浸透状況について、他にはない新鮮な情報をもっている。

 以下でお読みになるのは、ラジャーニューズが行ったサッガーイェビーリヤー氏とのインタビューの内容である。
※訳注:「ラジャーニューズ」は「マシャーイー問題」が表面化するまで、アフマディーネジャード政権を熱狂的に支持するニュースサイトとして有名だった。


「逸脱グループ」と「フリーメーソン」はどちらも、実際は一種のプルーラリズムを信奉し、宗教を私的な領域へと追いやることを自らの信条としています。これ以外に、この二つの思想の間に、どのような共通性があるでしょうか?

フリーメーソン的逸脱に存在する問題の一つは、古代主義に傾倒しがちであるということだ。つまり、古代主義を信奉しつつ、宗教との戦争に赴こうとしているのだ。彼らは古からの風俗習慣など、古代に関わる事柄を追い求め、古代の人々への誇りを手に入れようとしている。〔‥‥〕彼らは「キュロス憲章」を〔イギリスから〕イランに持ってきた。もちろん、なかには「あんなものは偽物だ!」と言う者もいた。この問題はさておくとして、どんな大言壮語とともに、〔キュロス憲章を〕史上初めてイギリス人が〔イランに〕もってきたのか〔よく考えてみるべきだ〕。キュロス憲章は〔世界で〕初の「正義の憲章」だ、などという説明がなされてきたのだ。

※訳注:「キュロス憲章」は大英博物館所蔵の古代の遺物で、一般には「キュロスの円柱」と呼ばれる。この遺物は古代アケメネス朝の王キュロスがバビロンを征服した際に作成させたもので、「ユダヤ人解放令」や「信仰の自由」を命じたものとして知られ、1960年代以降、イランの時の支配者モハンマド・レザー・パフラヴィーらによって「世界初の人権宣言」として喧伝された。それ以来、イラン人としてのプライドをくすぐるアイテムとして、「キュロスの円柱」は「キュロス憲章」とイランでは呼ばれるようになった。この円柱は2010年9月に4ヶ月間、大英博物館からイランに貸与され、その際アフマディーネジャード大統領や側近のマシャーイーらの手により、盛大な式典が催された。その内容が「古代ペルシア」を称揚するものだったため、保守派の宗教層から強い批判を浴びた。サッガーイェビーリヤーの上記発言の趣旨は、「派手な演出でイギリスからキュロスの円柱を借りたが、あんなものは正義の憲章でも何でもない、イスラーム革命のイデオロギーの変質を狙うイギリス人に踊らされているだけだ」というもの。


当時政権内にいたあなたは〔キュロスの円柱がイギリスから貸与されたことについて〕どのような反応をしましたか?

当時、閣議の場で報告を受け、私は抗議した。これに対して、喧々囂々たる議論が起きた。私は言った、どの程度イスラームによって認められているのか全く不明な代物〔=キュロスの円柱〕を、あなた〔=アフマディーネジャード及びマシャーイー〕はどうして追い求めるのか、と。彼らは言った、キュロスはエラム人とは関係ない〔※1〕、彼は〔住民が〕自らの信仰する宗教を保持することを認めた、と。

しかし、これは果たして、歴代の預言者たちのやり方だっただろうか?これはイスラームに反している。預言者は偶像を壊したからだ。預言者は派兵して一つずつ偶像を破壊させたのだ。〔※2〕

※訳注1:「キュロス」の名がもともとエラム語に由来しているとの説があることを指しているものと思われる。
※訳注2:イスラームではキリスト教など一部の宗教を除いて、異教は宗教とは言えず、偶像崇拝にすぎない、よってこれらを信仰する自由も認められない、ゆえに「キュロスの円柱」が信仰の自由を認める内容だったとしても、それを高く評価することなどできない、という趣旨。

イブラーヒーム閣下も同じことをしましたね
※訳注:イブラーヒームはクルアーンに出てくる預言者の一人で、偶像崇拝と闘ったと言われる。

然り。もし、「イスラーム憲章」ないし「正義の憲章」について言いたいのであれば、キュロス〔の言葉〕でなく、「信徒たちの長」〔※初代イマーム・アリー〕がマーレク・アシュタル〔※初代イマーム・アリーに忠実に従った勇猛な武将〕に宛てた手紙について言及すべきだ。これ〔キュロス憲章について云々すること〕は、実際のところナショナリズムへの回帰にすぎないであり、それは後に「イラン主義」の名の下で人々の話題に上ったのである。

閣議で私は次のように言ったことがある。「革命から30年が過ぎ、我々にはイマーム〔・ホメイニー〕と師〔=ハーメネイー最高指導者〕のお言葉が残されている。イマームと最高指導者のお言葉を基本とした革命の言説が、我々にはある。お二人が常に言っていること、それはイスラームなのだ。〔‥‥〕

あなたがたがイスラーム諸国を訪問し、イランという語を口に出せば、どこででもみな関心を示してくれる。あなたがイラン人だと理解するや、彼ら〔=イスラーム諸国の人々〕はあなた方を抱き寄せてくれる。それもこれも、イスラームのおかげなのだ。イマーム・ホメイニーがイスラームについて語ってくれたお陰なのだ。

明らかに、イスラームを希求するこの呼びかけは、イランから上がったものだ。しかしイマームが「イラン的イスラーム」や「イラン主義」について語ったことなど、一度もない。師も同様である。イランに言及したこともなければ、シーア派に言及したことすらないのだ。


〔‥‥〕

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( 翻訳者:塩尻菜穂子 )
( 記事ID:23978 )