イラン、タジキスタンの生徒たちが使う各学年用教科書を、彼らの祖先の文字で発行
【文化・芸術部:スィーナー・アリー・モハンマディー】タジキスタンの独立から20年、そしてキリル文字の支配から100年を経て、遂に今年から、この国の12万人の生徒たちは初等から中等教育までの各学年で、ペルシア語とその文学の偉人たちの文章を自らの祖先の文字で学ぶ予定となっている。
教育省の教科書編纂局ペルシア文学グループ長のフェレイドゥーン・アクバリー博士がジャーメ・ジャム紙に述べたように、西暦1918年の頭からタジキスタンの人々の使用する文字には〔歴史的な〕分断が生じている。この時からペルシア文字、つまり全タジキスタンで千年以上命脈を保ってきた文字は、政治的・国家制度上の理由によって、またロシアの支配によって脇に追いやられてしまっているのである。
アクバリー氏によると、「1920年から1929年まではラテン文字がペルシア文字に取って代わり、その10年後、キリル文字が国や行政、教育の現場で使用される正式な文字として、ルーダキーゆかりの地で用いられるようになった」という。
同氏はタジキスタンの独立に言及し、「独立後、この国のリーダーたちや民衆のなかから、祖先の文字として知られていたペルシア文字への回帰を熱心に求める声が生まれ、その結果、1387年〔2008年〕にイランの教育省とタジキスタンの文部省との間で覚書が調印された。これにより、タジキスタン国内でのペルシア文字普及に向けた最初の一歩として、真剣なプログラム作りが始まったのである」と語った。
そして覚書が調印されてから三年、両国の教科書執筆者・編纂者による努力の甲斐あって、ついにイラン教育省調査計画庁副長官のホッジャトルエスラーム・モハンマディヤーン博士から、「ペルシア文字で書かれた教科書7冊が、〔今学年から〕タジキスタンの教育制度の各課程に導入される」との「吉報」が発表されたのである。
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モハンマディヤーン氏は、生徒たちのペルシア文字への歓迎ぶりについて、「タジキスタン文部省の関係者らが報告しているように、一般民衆や生徒たちの親たちも、これらの教科書を歓迎しており、タジキスタンの生徒たちや知識人、民衆の間ではペルシア文字で書かれたペルシア語の文章を読むことへの関心が高まっている」と述べている。
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なお、このリポートの終わりに、アクバリー氏の口から出た次のような指摘についても、一考する価値があろう。すなわち、〔‥‥〕教育制度にペルシア語の教科書が導入されても、同国で教えられている唯一の公式の文字は依然としてキリル文字だ、との指摘だ。こうしたなか、タジキスタン政府は、特に教育改革を経て、こうしたこと〔=ペルシア文字の復活〕への用意を示しており、〔政治的な独立だけ出なく〕文化的な独立をも手に入れようとしていることも事実だ。実際、同国はこの点で、イランの協力に強い期待を寄せているのである。
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( 翻訳者:多田直輝 )
( 記事ID:24036 )