スィイルトで4名の娘たち、涙の葬儀―抗議とクルド語哀歌のなかで
2011年09月22日付 Radikal 紙
PKKによる攻撃の結果、亡くなった幼なじみ同士の若い4名を、昨日2000人の人々が見送った。ネルギスが負傷した際に、兄に電話していたことも明らかになった。
4名の若い女性たちは、PKKメンバーによるスィイルトでの手榴弾と遠距離狙撃銃の襲撃により自動車内で死亡し、昨日、隣同士に作られた墓地に埋葬された。
スィイルトで暮らしていたハタイ・ムスタファ・ケマル大学体育・スポーツ高等専門学校2年生のネルギス・エヴィンさん(22歳)と彼女の友人・姉妹たちは、前日の夜に送別会を開いた。ネルギス・エヴィンさんは、美容師の姉ゼイネップ・エヴィンさん(31歳)、妹のヌラン・エヴィンさん(17歳)、友人でスィイルト県青年・スポーツ局長フサム・オルガチ氏の娘であり、また同局で水泳トレーナーであるヌルジャン・オルガチさん(25歳)、彼女の妹で看護師のギュルジャン・オルガチさん(23歳)、民間警備員勤務のケヴセル・チェキンさん(20歳)は、車でカサップラル・デレにあるレストランに食事に行った。
レストランで結婚式が行われているのを見た女性たちは、市中心部に戻るために出発した。自動車は、20時15分あたりに警察職業高等専門学校に向かう際、50m先の田畑に隠れていたPKKメンバーらにより襲撃された。車内の6人は負傷した。警察は、テロリストらに直ちに応酬し、追跡した後に起きた衝突では、一人のPKKメンバーは、投げようとした手榴弾が手の中で爆発した結果、死亡した。
ゼイネップ・エヴィン、ネルギス・エヴィン、ケブセル・チェキン、ヌルジャン・オルガチたちは運ばれた病院先で死亡した。4名の若者のために昨日、スィイルトで葬儀が催された。葬儀に参列したイドリス・ナイム・シャーヒン内務相は、「(PKKは)国民のために組織されたかのように見えるが、国民を殺戮する組織である。狂って襲撃をしている」と述べた。(死亡した)4名は、シェイフ・ムーサ・モスクにて行われたお祈りの後に埋葬される一方、親近者たちは悲しみに明け暮れた。お葬式には約2000人が参加した。
(エヴィン姉妹の)兄のメスット・エヴィン氏は、車はゼイネップさんが運転していたと話した。メスット・エヴィン氏は、「大爆発の音を聞きました。その後、電話が鳴り、かけてきたのはネルギスでした。『お兄ちゃん、地雷を踏んでしまって、死んでしまう。周りには地雷が沢山ある』と言いました。負傷している状況で私に電話をしてきたのです。すぐ外に飛び出して、事件現場に行き、彼らを見たのです。」
■悲痛な父親
亡くなったネルギスさんとゼイネップさん、重傷を負ったヌランさんのエヴィン家は、大いなる悲しみの中にある。父親のヌレッティン・エヴィン氏は、「みんな、私たちのかわいがっている子たちです。兄弟姉妹です。私たちの信仰、国、全て一つです。この悲しみが、今すぐにでも終わることを願っています。国の偉い方々にお願いします。誰も私たちを愛さなくとも、私たちはお互いに仲良くしましょう。私たちにはこれがふさわしいのです。毎日こうした悲しみを経験することがありませんように。(この事件は)残念で、罪なことです。誰の子どもたちも死ぬことがありませんように、他の母親たちが泣き悲しむことがないように、家庭が壊れてしまうことがありませんように」と話した。
ネルギスさんの学校の友人たちもこの訃報に接して悲しんだ。教員のアリ・テミズ氏は、ネルギスさんが学校のオリエンテーション(走ったり歩きながらゴールを目指す)チームで優秀なスポーツ選手だったと述べた。
2人の娘のうち、一人が殺害され、もう一人も足を失ったことを知り、悲しみの中にある父親のスィイルト県青年・スポーツ局長のイフサン・オルガチ氏は、「みんな、近所の幼なじみ同士でした」と話した。母親のアイシェ・オルガチさんもクルド語で「私たちの家庭が壊され、心は悲しみでいっぱいです」と話しながら、哀歌を口にした。立っていられないケブセルさんの母親のギュルゼリン・チェケンさんを、お悔やみのためにやって来た人々がなだめた。ケヴセルさんの義理姉のギュルチン・チェキンさんは、「(テロリストらは)人生の最も美しい時期に、命を奪ってしまった。ケブセルは、警察官になれなかったので、警備員になったのです」と話した。
■BDP党員のチェキン氏
ケブセル・チェキンさんがBDP党員のスィイルト市副市長のアブドゥラティフ・チェキンさんの姪であることが明らかになった。チェキン氏は立つのがやっとだった。幼なじみ同士の4名の女性たちは、シェイフ・ムーサ・モスクにて隣同士に埋葬された。
■警察学校への襲撃:殉職者1名、負傷者6名
PKKメンバーは、昨日、ビトリス県警察職業高等専門学校を襲撃し、学生一人が死亡し、6名の学生が負傷した。襲撃は、昨日9時10分頃に、ビトリス-タトワン間の自動車道上の中心地から12kmの距離にある集合住宅局(TOKİ)住宅内にある警察職業高等専門学校で起きた。
黒色のナンバープレート「34 HS 7879」の車から、遠距離狙撃銃により銃撃された。校庭にいた警察官候補のアルスラン・アッカヤ(20歳)が死亡し、エムレ・バイラム(20歳)、エルデム・クズルシュック(18歳)、ジュマー・アリ・オズクル(22歳)、ヴェダット・アルトゥン(21歳)、アブドゥッラー・ギュネシュ(19歳)、ムクタリップ・クルト(19歳)が負傷した。PKKメンバーが運転していた車は、ビトリス-ギュロイマック自動車道のユカルコルバシュ村付近で乗り捨てられた状態で発見された。
アルスラン・アッカヤ氏のカフラマンマラシュ県の父親のムスタファ・アッカヤ氏と、母親のギュルル・アッカヤさんは、訃報を受けて大変悲嘆にくれた。アッカヤはかつて羊飼いをしており、受験した試験で警察官と兵長試験に合格し、警察官を選んでいた。
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( 翻訳者:石川志穂 )
( 記事ID:24047 )