エヴリヤ・チェレビー・シンポジウム、ドルマバフチェ宮殿で本日開催
2011年09月26日付 Hurriyet 紙

旅行記文学の先達、エヴリヤ・チェレビーを議題とする会議が、本日午前9時半からイスタンブルのドルマバフチェ宮殿で開催される。

会議は言語フェスティバル(Dil Bayramı)第79周年式典に続き行われる。今年、生誕400年を迎えたエヴリヤ・チェレビーは、トルコ国内だけでなく世界各地の様々なイベント、会議、シンポジウム取り上げられている。

ドルマバフチェ宮殿でのこの会議は、エヴリヤ・チェレビー400歳の誕生日であった2011年3月25日にトルコ言語協会の主催によってトプカプ宮殿で行われた式典に続くものとなる。

***

エヴリヤ・チェレビーの歴史的性格についてはイルベリ・オルタイル教授(トプカプ宮殿館長)が発表する。
それ以後の発表者とテーマは以下の通り:
エヴリヤ・チェレビーと彼の『旅行記』についての優れた研究で知られるロバート・ダンコフ氏による「エヴリヤ・チェレビー『旅行記』の自筆写本はどこにあるのか?」、アヤソフィア博物館長ハリューク・ドゥルスン氏による「エヴリヤ・チェレビーのアヤソフィアへの見解」、チェレビーのナイル地図を出版したヌラン・テズジャン氏による「『旅行記』の正誤」、オランダから参加のU. ブレーズィング氏による「ハブ・ラズ人の小姓たちが来る(Habu Laz uşaklari geliy): エヴリヤ・チェレビーによるラズ人に関する若干のデータ」、フランスから参加のJ. L. バッケグラモン氏による「エヴリヤ・チェレビーによる他者と他者性の見方:カルムイク人(Kalmıklar)」、プリシラ・マリー・ウシュン氏「魂は喉から入ってくる: エヴリヤ・チェレビーにおける食事の精神的側面」、マリアンナ・イェラスィモス氏「エヴリヤ・チェレビー『旅行記』における数々の食文化」のように、会議では50に近い発表と討論が行われ、会議は三日目にはブルサで続けられることになる。

***

チェレビーがイスタンブルを出て最初に旅した町であるブルサでは、9月30日にビュレント・アルンチュ副首相が開会の挨拶を努めるパネルディスカッションも開催される。
ブルサでの会議では、トルコ言語協会とTRT(トルコ・ラジオ・テレビ協会)が製作した全10回のエヴリヤ・チェレビー・ドキュメンタリーの紹介も行われる。その後、9月30日にはキュタフヤでももう一つ会議が行われる。

チェレビーが「我が先祖の町」と呼んだキュタフヤで、この国際学術会議は終了する。しかし、エヴリヤ・チェレビーを扱ったイベントは、年末まで国内外で開催され続けることになる。セイト・アリ・カフラマン氏が編集した『旅行記ハンドブック』はトルコ言語協会から、『旅行記』写本の完全なファクシミリ版もトルコ歴史協会から今年末に出版される予定である。

***

トルコ言語協会により出版された、シュクリュ・ハリューク・アカルン氏の『世界の旅人――エヴリヤ・チェレビー』という本の序章において、チェレビーと『旅行記』についての概要が書かれている。
「エヴリヤ・チェレビーは一人の放浪者である。世界の旅行者である。エヴリヤ・チェレビーは七つの気候と18の王国を巡り、71年を超える生涯のうち51年を旅に費やし、ある地方から別の土地に続く道を、異なった町々を、様々な国々を通り過ぎて行った放浪者である。彼が旅行した地理的距離はおよそ2500万キロメートルである。現在、この地理的範囲には30の国家が作られている。エヴリヤ・チェレビーが見て、歩いて、通過した町の数は250にのぼる。(中略)
エヴリヤ・チェレビーは歴史家である。彼が著書に記した歴史的情報、説明の中に、私たちは彼の歴史家としての姿に出会う。
エヴリヤ・チェレビーは言語学者である。彼が歩き、目にした土地で離されていた諸言語は、会話文、語彙集、ユーモア、歌の形で引用されている。(中略)
彼は芸術愛好家である。絵画、手工芸品、彫刻に関心を持っている。
エヴリヤ・チェレビーは美食家である。舌の肥えた、食いしん坊で、食に関心の高い人物である」

***

彼と旅する喜びを、みなさんにも楽しんでもらいたい。(Dogan HIZLAN記)

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:森 天真 )
( 記事ID:24085 )