「私たちを兵役に」(左)とのプラカードを掲げる少女
22人の兵士殉職のニュースが伝わると、トルコの各地で人々が通りにあふれ出た。老人や女性も含むある集団は、兵役事務局まで出向き、「我々をも徴兵せよ」と言った。
■「我々をも徴兵せよ」
ハッキャーリで起きたテロ襲撃に対しデモを行った、老人や女性をも含むある集団は、兵役を志願し兵役事務局まで出向いた。イスタンブルのヌフクユス通りに集まった老人、女性、学生をも含むある集団は、ウスキュダルとカディキョイの兵役事務本部までデモ行進した。「我々は皆兵士だ、PKKなど恐るるに足らず」、「くたばれ、PKK」、「歯には歯を、血には血を、復讐!復習!」をシュプレヒコールを繰り返し、本部の前で一斉に独立行進曲(トルコの国歌)を歌った。
国歌を歌い終わると、ビルゲハン・チェティンカヤ氏(55)がメンバーを代表して兵役事務局の関係者と入口の前で話した。テロ襲撃のあと友人たちと共に兵役に行こうと決意したというチェティンカヤ氏に対し、兵役事務局の関係者は、「あなたがたが兵役に行くという法律はありません」と答えた。
集団のメンバーで最年長のベキル・ドアン氏(86)は、近年見られるテロ襲撃はもうたくさんだと述べ、「僕の弟も殉職者のひとりだ。弟は1973年にアドゥヤマン芸術学校で校長をしていた頃、テロ襲撃に遭って殺された。テロはこの国の開いてままの傷だ。我が子らの代わりに我々が死すべきだ。」テロ問題は話し合いでは解決できないということがわかったと述べる女性たちの中の一人、サキネ・アカルンル氏は、「私たちも兵役に行きましょう。必要とあらばこの国のために我が命をも捧げましょう。トルコ人はテロの問題を必ずや克服するでしょう」と語った。
デ二ズリで商工業者20人がはじめた、ハッキャーリ・チュクルジャでの24人の兵士殉職に対する抗議行進は、しだいに市民約1000人をまきこみ、大規模なデモ運動へと発展した。手にトルコ国旗を持った抗議者たちがPKKのテロを非難し、女性たちはベランダで、もしくは大通りや広場で、殉職者のために涙を流した。
チュナル広場まで来たところで、ハリル・サル弁護士は、集団を代表として記者会見を行った。法をふみにじるテロを非難すると述べ、「明るい未来は爆弾によってもたらされるのではなく、分離主義を止めること、つまり兄弟の絆を以って構築されるものだ。クルド人とトルコ人は兄弟だ。我々の共通の敵は、手榴弾によって血と死をもたらすテロだdと述べた。
集団は、国歌を歌い、テロを非難するスローガンを叫んだ。行進に参加した年金生活者のナミック・ヤルシュ氏は、「わしは60歳だ。わしだって戦おう、わしを送り込んでくれ。もうこのテロを止めにしてくれ」と非難した。
■高校生のデモ
ハッキャーリで24人の兵隊が殉職したことで、その影響は高校生にも及んだ。D-100カラヨル・ベフチェリエヴレル地区に集まった高校生100人は、このテロ事件とPKKに抗議した。
■アダナでデモ
多くの兵士が殉職したハッキャーリでのテロ襲撃を受けて、アダナで女性が大部分を占める集団によってアタテュルク像の前で抗議活動が行われた。
アタテュルク公園に集まったアタテュルク主義思想協会(ADD)とCHPのメンバー、多数の市民がテロ襲撃への抗議のために黙礼し、国歌を歌った。
■学校を飛び出しデモに参加
バルケシルのバンドゥルマ郡では一部の高校生が学校を抜け出し、共和国広場でテロ襲撃に対し抗議活動を行った。バンドゥルマ市民も、テロ襲撃の抗議のため、店にトルコ国旗を飾り、殉職者のためにロクマ(トルコの揚げ菓子)を配った〔訳者注〕。
ハッキャーリ・チュクルジャでの犠牲に対する抗議活動への参加を望んでいたバンドゥルマ・ケマル・ピレジ高校の学生たちは、共和国広場に行こうとした。学校側から許可が出なかったので、授業をさぼった生徒たちは共和国広場に集まり、スローガンを叫びテロを非難した。両手でトルコ国旗を開き、アタテュルク記念碑の前で、殉職者たちのために黙礼をした学生たちは、国歌を歌った。学生が共和国広場で見せたこの行動を、市民らは支持した。
注:トルコではお祝い事や葬儀のとき、一口大の揚げ菓子を周囲の人に配る風習がある。
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( 翻訳者:大嶽真梨子 )
( 記事ID:24286 )