地震で命を落とした教師30人、それぞれの故郷で埋葬
2011年10月25日付 Hurriyet 紙
2011年10月23日にヴァン県で発生した地震によって亡くなった教師たちが、それぞれの故郷で埋葬された。30人の教師たちは倒壊した建物の下敷きとなって命を落とした。
イイト一家は自宅にいた際、地震に遭い、3歳の子供と一緒に教師のネスリンさんとその夫のムスタファ・イイトさんは亡くなった。
ムスタファ・イイトさん(25歳)、教師をしていた妻のネスリンさん(25歳)と二人の子供であるフルカン・イイトちゃん(3歳)、そして兵役教師として働いていたオヌル・アテシュさん(25歳)は、今日故郷のサムスンで埋葬された。
ムスタファ・イイトさんと妻のネスリン・イイトさん、二人の子供のフルカン・イイトちゃんの遺体は昨夜故郷のサムスンへ搬送された。エルジシュ郡で2年間教師として勤務していたネスリン・イイトさんとあるマーケットの販売責任者だったムスタファ・イイトさんは地震発生時に崩落した家の下敷きとなった。長時間にわたる救出活動の末、一家の遺体はがれきから運び出された。結婚して4年目の夫婦の葬儀は今日二人の故郷、サムスンで行われた。葬儀には県国民教育局のヒュリヤ・エルチュルク・コチ局長も出席した。ビュユク・モスクにおける葬儀では誰もが涙を流した。モスクの中庭には三つの棺が並べて安置され、親族の嘆きの声が人々の心を痛めた。ムスタファ・イイトさんの母エミネ・イイトさん、父ビラル・イイトさんと、ネスリン・イイトさんの母ゼイネプ・カラタシュさん、父ハリト・カラタシュさんは、子供たちと孫の棺に抱きついて涙を流し、ひどく取り乱していた。イイト一家の遺体は正午に行われた葬儀の礼拝を終えた後、デレジキ村墓地に並んで埋葬された。
■花嫁のベールとともに埋葬
夫とともに夫婦で教師をしていたギュルダーネ・キョセ・エルダルさんは、嫁入り道具を運び入れていた自宅で地震に遭って亡くなり、故郷のアダナで花嫁のベールと一緒に埋葬された。
彼女のために、結婚式のかわりに葬儀に出席することになった人々は涙にくれた。
エルジシュ郡にある建国75周年記念寄宿制初等教育地域学校(YİBO)で体育教師として勤務していたウミト・エルダルさん(30歳)とシャンルウルファ県シヴェレキ郡の学校に勤務していた教師のギュルダーネ・キョセ・エルダルさんは今年の6月に正式な結婚をしたばかりだった。夫の仕事の都合で先月エルジシュ郡共和国小学校に転勤したギュルダーネ・キョセ・エルダルさんは11月3日に予定されていた結婚式の準備をしている最中だった。新しく借りた家に嫁入り道具を運び入れている時に、夫とともに地震に遭ったギュルダーネ・キョセ・エルダルさん。彼女の遺体はアダナへ、夫ウミト・エルダルさんの遺体はアイドゥンヘそれぞれ搬送された。
ギュルダーネさんの遺体は、セイハン診療病院の遺体安置所からトゥルグト・オザル大通りにある(彼女の)父の家に移され、その後カバサカル墓地に搬送された。彼女の棺の上には生前身に着けることができなかった花嫁のベールがかけられた。葬儀では母のファフリエ・キョセさんと父のビュンヤミン・キョセさんが涙をながし悲しんでいた。ギュルダーネ・キョセ・エルダルさんの葬儀に出席した叔父のカライサル郡教育局長、オメル・ファルク・キョセさん、県教育局のアブドゥルガフール・ビュユクフラト局長、彼女の教師仲間や近親者たちは、涙をこらえることができなかった。彼女の遺体は葬儀の礼拝のあとにベールと一緒に埋葬された。
■葬儀と結婚式が一緒になってしまった
カライサル郡教育局長のオメル・ファルク・キョセさんは、姪が3年前に教師になり、先月夫の都合でエルジシュへ転勤したことを語り、「新居をエルジシュに構えることを望んでいました。夫の都合で転勤するために、正式な結婚を結婚式の前に行いました。結婚式を11月3日に行うと周りに知らせ、その準備はすべて整えられていました。嫁入り道具を婚約者と一緒に新居に運び入れている時に地震に遭ってしまい、結婚式を行うことができませんでした。この葬儀が結婚式にもなってしまったのです」と述べた。
■デュズジェの地震では助かり、ヴァンで亡くなった
ムハッメト・ユルトオールさん(24歳)は1999年11月12日にデュズジェで発生した地震の際は無傷で救出されたが、教師として働いていたヴァンで、地震によって倒壊した建物の下敷きになり亡くなった。
アクチャコジャのオスマニイェ地区に住むユルトオールさんの家族は、ヴァンからの訃報に泣き崩れた。(地震発生時に)ヴァン県チャクルル村にある小学校で兵役教師として勤務していたムハッメト・ユルトオールさんと連絡がつかなかった父親のサトゥルムシュ・ユルトオールさんは、急遽ヴァンへ向かった。父サトゥルムシュ・ユルトオールさんは、がれきの中から運び出され、遺体安置所へ搬送された息子の遺体の本人確認を行った。1999年にデュズジェで起きた地震では家族とともに無傷で救出されたムハッメト・ユルトオールさんが今回の地震で命を落としたことは大きな悲しみをもたらした。ムハッメトさんの遺体は26日、故郷のカラビュクで埋葬されるという。
■英語教師、チョルムで埋葬される
地震で命を落とした英語教師のハサン・アクブルトさん(24歳)は、今日(25日)、故郷チョルムで埋葬された。
英語教師のアクブルトさんは地震で倒壊した家の下敷きとなり命を落とした。彼の訃報はチョルムにいる家族を悲しませた。親族はアレヴィー文化センター所有の棺搬送車とともにエルジシュへ向かい、ハサン・アクブルトさんの遺体を故郷のチョルムへ搬送した。
55歳の父親のヤクプ・アクブルトさんは「テレビで地震のことを知りました。多数の死者が出たと報道されていたので、息子の携帯に何度も電話をかけてみましたが、返事はありませんでした。その後亡くなったと聞き、アレヴィー文化センターの棺搬送車でエルジシュへ向かい、息子の遺体を搬送しました。あそこからチョルムへと連れ帰ったのです。アッラーよ、もうこれ以上、誰もこのような辛い目に遭わせないでください」と語った。
母親のギュルリュ・アクブルトさんは(悲しみで)その場に立っていられないほどだった。
ハサン・アクブルトさんの遺体は今日の正午の礼拝の後アレヴィー文化センターから運び出され、人々が涙を流す中でウル墓地に埋葬された。
■遺体は故郷のサムスンで埋葬された
24歳の教師、オヌル・アテシュさんは自宅で地震に遭い、建物の下敷きになって命を落とした。アテシュさんの遺体は故郷のサムスンで埋葬された。
トカト・ガーズィオスマンパシャ大学の教育学部を去年卒業し、その後教師としてヴァンのエルジシュ郡カラタヴク村の小学校に勤務していたオヌル・アテシュさんは、日曜日に起きた地震の際、同僚のラマザン・オズカンさんと一緒に住んでいた家の倒壊に巻き込まれ、その下敷きとなった。友人のラマザンさんは負傷した状態で助け出され、アテシュさんは亡くなったことが伝えられた。
また、アテシュさんが教師として勤めるかたわら予備役将校として兵役にもついていたことが報じられた。
■教師のニガル・ゲンチェルさん、トカトで埋葬
ニガル・ゲンチェルさん(23歳)も今回の地震で亡くなり、トカトで埋葬された。
教師のゲンチェルさんはヴァン県エルジシュ郡で(地震により倒壊した)建物の下敷きになって命を落とした。ゲンチェルさんの遺体はギュルユルドゥズ町の棺搬送車で家族が住む町に搬送された。
ゲンチェルさんの遺体はメドレセ・モスクでの葬儀の礼拝の後、町営墓地に埋葬され、その際棺には花嫁のベールがかけられた。
エルジシュ郡チェレビーバウ町のカラコユンル小学校に52日前に赴任したスクールカウンセラーのニガル・ゲンチェルさんには二人の兄弟がおり、父親は建設業に携わっていることが報じられた。
悲しみにくれる父親のラヒム・ゲンチェルさんは、新聞記者らに行った会見で娘の死亡をヴァンからの電話で知ったことを述べた。
ゲンチェルさんの父は町の棺搬送車とともに現地に向かったと述べ、「エルジシュの状況は非常に悪いです。建物の3軒に2軒は倒壊しており、救急車が道を通ることができません。娘は52日前にエルジシュに赴任しました。わたしの姉妹の息子のヤルチュンも同じところにいました。彼は4階に、娘は5階に住んでいました。ヤルチュンは外にいたため助かったのです」と語った。
この間ゲンチェルさんの親族はカメラを向けてきた報道関係者に不快感を示した。
■「たったひとりの男の子だったのです」
教師のイルファン・アタセヴェンさんは勤務先のヴァン県エルジシュ郡で地震に遭い、25歳で亡くなった。アタセヴェンさんの遺体はカラマン県サルヴェリレル郡ギョクテペ町で埋葬された。父親のアタセヴェンさんは、ヴァンに到着する前は息子がエルジシュ郡の自宅で生きて救助されたと伝えられていたが、到着後になって訃報が届いたと述べ、次のように続けた:
「息子は搬送先の病院で亡くなりました。地震のとき、家には3人おり、2人の友人は救出されました。息子は去年契約教員としてヴァンのエルジシュ郡チェレビーバウ村ストゥク・クルム小学校に勤めはじめました。2011年2月に任命を受け、私たちの住む村から15キロほど離れたジヴレル村へ赴任しました。そして子供たちのそばにいるために勤務地に住むことを決めたのです。私たちには2人の娘がいますが、彼は私たちにとってたったひとりの男の子でした。この悲しみにどう耐えればいいのかわかりません。」
■ゼフラ先生、涙とともに見送られる
教師のゼフラ・カヤ・シェラレさんは地震の際、夫とともに乗っていた車の上に崩れ落ちてきた建物の下敷きとなり、22歳で亡くなった。ゼフラ・カヤ・シェラレさんはアンタリヤのマナヴガト郡で涙にくれる人々に見守られ、埋葬された。
初任地がエルジシュ郡だったゼフラ・カヤ・シェラレさんは、3ヶ月前に大学時代からの友人で、同じ学校に勤務していた教師のメフメト・シェラレさんと結婚したばかりだった。ゼフラ・カヤ・シェラレさんはジェラル・バヤル大学マニサ・デミルジ教育学部で知り合った夫と同じ学校で勤務するため3ヶ月前に正式に結婚し、11月12日にマナヴガトで、数日後に夫の故郷のオルドゥで結婚式を開く予定であった。結婚式に向けて準備を進めていたシェラレ夫婦の夢は、トルコを襲ったマグニチュード7.2の地震によって潰えた。地震の際、ゼフラさんとメフメトさんが乗っていた乗用車は倒壊した建物のがれきの下敷きとなった。ゼフラ・シェラレさんはこれによって死亡し、重傷を負ったメフメトさんはヴァン国立病院で治療を受けた。結婚式の準備を進めていたゼフラ・シェラレさんの家族は、娘の遺体を昨夜エルジシュからアンタリヤのマナヴガト郡へと引き取った。
礼拝の後、ゼフラさんの遺体はマナヴガト・バユル墓地に埋葬された。
■家族に結婚したいと言っていた
教師、ムスタファ・オズデンさん(26歳)は、今回の地震でエルジシュ郡の自宅が倒壊しその下敷きとなって亡くなった。ムスタファ・オズデンさんは故郷のコンヤ県アクオレン郡で埋葬された。
エルジシュ郡コジャプナル小学校に勤務していたムスタファ・オズデンさんは、3年前に契約教員として働きはじめた。最近行われた任命で正規教員に採用され、ヴァン県エルジシュ郡に赴任した。オズデンさんは正規の教師となったので、コンヤにいる家族にお見合いをして結婚をしたいと話していた。家族もこのための準備をしていたところに、訃報が届いた。
ムスタファ・オズデンさんの遺体は今日になって救急車でアクオレン郡に住む父の家に搬送された。母親のドゥドゥ・オズデンさん(55歳)、父親のアドナン・オズデンさん(58歳)は息子の遺体を抱きしめながら別れを告げた。その後ハジュラル・モスクへ運ばれたオズデンさんの遺体は、礼拝の後約1000人の参加者に見送られ、郡営墓地に埋葬された。
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( 翻訳者:佐藤悠香 )
( 記事ID:24349 )