Nuray Mert コラム:地震と、「天罰」発言
2011年10月27日付 Milliyet 紙

ヴァンで起こった地震により、多くが崩壊した。せめてこのような時には、人道的な心配や感情が何よりも優先されるべきだった。支援のために危険に身をさらしながら活動している人たちには当てはまらないが、残念ながら、政治的な憂慮は消えていない。

このような時に、「石を投げる人たち」と繰り返し、神がクルド人たちに「天罰」を下したと述べる非人間的なことは話題にしたくもない。震災を通して「団結」「結 束」「同胞愛」のようなメッセージを伝えるのもしっくりこない。このような状況下で、「団結」「同胞愛」以外のことを想像することができるだろうか、と思うからだ。

■軍事作戦のペースは変わらない

どこで地震が起こったとしても、直後に話題になるべきことは、1999年の(マルマラ)地震後のような、地震対策の甘さ、対処の不備、援助不足の原因等である。マスコミは、他の地震と同じように、不足や問題点等を強調し、情報伝達や援助を要請するのではなく、「奇跡的な」ニュースを優先させた。献身的で成功を遂げた救出の様子を評価することはもちろん重要だが、それは、不足を覆い隠すためではなく、不足を解消し、また解消を推し進めるためである!

世界中どこでも、指導者たちは、大地震のような災害では苦労する。それは、間違いない。しかし、間違っているのは、困難を覆い隠そうとすることである。さらに、被災地がクルド人居住地域であることが、ことをより込入った状況にしている。このような状況下で、苛立ち政府に不満を向ける者たちに、ガス弾が投じられかねないのである。

しかし、より重要なのは、国がこのような大震災に直面しているときにでも、軍事作戦のペースは変わらないことである。この点は、非常に重要である。というのも、この国で、政治が「人間優先」からほど遠く、治安を軸としていることが改めて分かるからだ。軍事作戦や、抑圧的な政策のために費やされたお金と周到さは、残念ながら、人命救助や福祉のためには使われていない。政治をこの方向で進めようと考えていない。問題は、誰が政権を握っているかではなく、この考え方が、政党、人が代わったところで、政権から全くなくならないことにある。市民社会と呼んでいる最も広範な人間集団の気持ちや考えが、この方向で形作られてしまっていることが問題なのである。

■これほどの大惨事に値するだろうか

もし、この種の災難を「神のメッセージ」というのであれば、このメッセージをこの短い人生のために、争わず、お互いに寛容に接する努力をせよ、というメッセージだと解釈できないのだろうか?

クルド人たちが、要求しているのはせいぜい「自治政府」の建設なのに、それに対し、これほどの大惨事が下されるはずがあるだろうか。何か要求しているからといって上から抑圧するのではなく、少なくとも、少し落ち着いて考えよ、という神のメッセージだと、解釈することもできるのではないだろうか。

いずれにせよ、人生に関する最も重要なメッセージ(あるいは、人生についての最も重要な知識)は、この世での命は永遠ではないという現実を知ることではないだろうか。

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( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:24371 )