ユヌス君のFacebookに残された、イルカのような自由な心
2011年10月29日付 Milliyet 紙
トルコは彼の眼差しを決して忘れない。ユヌス君(注)は、マグニチュード7.2の地震で崩落した瓦礫の下敷きとなってしまったが、彼の盾となったある男性の遺体のお陰で命をとりとめた。しかし、彼は病院への搬送中に亡くなり、トルコ中を泣かせた。フェイスブックでは、彼が共有したコンテンツがとても目を引く。彼は平和民主党(BDP)の集会でのグルプ・セルハトの歌や、トルコ国旗も「シェア」(Facebookの機能の一つで、プロフィールページ等にアクセスした人に、予め設定した公開範囲に応じてビデオや画像が公開される)していた。彼はトルコ軍の殉職者たちのために嘆き、ペルウェルを、マンチョを愛した。
[訳者注:少年の名ユヌスは聖書のヨナから。トルコ語ではイルカのことも「ユヌス」と言う。]
世界が彼をヴァンで起こったマグニチュード7.2の地震の後に知った。地震発生から二日後にインターネット・カフェの瓦礫の下で彼は発見された。彼の肩には一本の腕がおかれていた。彼の盾になって亡くなった人物の腕だ。彼の両目は輝きを失うことなく救出を待った。残念ながらそれは叶わなかった。彼の輝く両目は病院への搬送中に閉じてしまった。今回の地震のシンボルであるユヌス君亡き後、彼のフェイスブックには、彼の心の足跡だけが残った。
13歳の少年はこの国の全てを愛していた。ユヌス君はトルコ語の動画もクルド語の動画も「シェア」していた。トップページにはトルコ国旗をモチーフにした、いくつもの四角形のアイコンが掲載されている。「殉職者は死なない。祖国は分断されえない」というスローガンとともに、編集されたトルコ軍の殉職者たちのビデオクリップの数々。彼が好きだった歌手の中には、アフメト・カヤ、バルシュ・マンチョ、エムレ・アイドゥン、ケマーレ・アメドがいる。彼が「シェア」した最後の動画の日付は9月9日。その最後に共有された動画は、クルド語で歌うグルプ・セルハトの動画であった。彼のお気に入りのビデオクリップの歌手の中には、やはりペルウェル、交通事故で亡くなったアレヴィーのフォークシンガーであるクヴルジュク・アリー、エムレ・アイドゥン、タルカンがいた。ユヌス君のクルド語吹き替えのシャーバーン(故ケマル・スナルが演じたコメディ・キャラクター)のビデオクリップやゲームは、彼の子どもらしい心を反映していた。
■ 殉職者のために
9人の兄弟がいるユヌス君は、2010年11月16日に「殉職者のためにトルコ民謡を歌おう」というタイトルの動画を友人達に届けていたという。映像は沢山の写真と、国への愛をうたった民謡によって締めくくられていた。「この国はぼくらのもの」、「全てを祖国のために」のような歌詞が続くビデオクリップには、兵士や国旗のフィギュアが登場している。彼のプロフィールにはもしかしたら、憧れていた誰かに向けられていたのかもしれないメッセージがある:「君には愛する価値も、愛される値打ちもない。裏切りもの・・。」
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( 翻訳者:濱田裕樹 )
( 記事ID:24398 )