ドイツへの労働者移住50周年式典、両国首脳、メスト・エジルでは「合意」
2011年11月02日付 Radikal 紙

トルコのエルドアン首相とドイツのメルケル首相がドイツに住むトルコ人のために語った。エルドアンが「メスット・オズィル(トルコ系のドイツ代表サッカー選手)がゴールを決めると、うれしく思います。トルコチームに対するもの以外は、ですが」と言うと、「私が言う必要もないことだが、メスット・オズィルのゴールに少なくともあなた方と同じくらい私たちも喜んでいます」と返答した。

レジェプ・タイイプ・エルドアン首相はドイツで、トルコからドイツへの移民50周年の記念講話を行った。ドイツのアンゲラ・メルケル首相も参加した会合で、エルドアンはドイツに住むトルコ人たちの成功に誇りを持っていることを語る際に、「トルコ代表チームへのゴール以外なら、メスットが決めたゴールを私たちも誇りに思う」と言い、会場を沸かせた。

■小さく考えることはEUにふさわしくない

エルドアン首相の話の要点は以下のようなものである。「小さく考えることはEUにふさわしくない。視野の狭い指導者たちではEUを世界規模の役割の担い手にすることはできない。私たちの期待は、ドイツが大きなビジョンを掲げ、EUの未来のために前進的な役割を担うことである。ドイツのトルコ人は、ドイツ-トルコ両国にとって疑いようのない大きな可能性である。ファーティフ・アクンの映画はドイツのものであると同時に私たちのものでもある」

■「メスットのゴールには私たちも喜んでいる」

トルコ代表チームへのゴールでない限り、メスト・オズィルがゴールを決めるたびに私たちも歓喜している。50年前に労働者として移住したトルコ人たちはもはやドイツの社会から切り離せない一部となった。彼らが努力すれば、その言語、文化、未来とともに、その努力に見合った人間になる。そこから様々な差別、平等に反する行為、反ユダヤ主義ほどのイスラム嫌悪をもはねのけてきたことを示している。こうした人道に反する罪と共に闘うことになることを信じてやまない。同化は反人道的な罪あるという点で、ドイツと同じ考えである。私たちは統合を支持しているし、トルコ人がドイツ語を勉強すること、ドイツ国籍を取得することを推奨している。トルコの国民がドイツ国民になることも支援している。私はまたドイツ国民がトルコ国民になるように呼びかけている。50年前に移住した人々は、とても素晴らしい成功を確かなものとし、異国の地をもはや自分たちの居場所(ふるさと)に変えてしまった。最初の世代に、彼らの子供たちに、孫たちに、そしてひ孫たちにトルコを代表して、祖国、国民を代表して感謝をささげる。ドイツの政府に、献身的努力と統合へ向けての貢献に対して、私自身、国民を代表して感謝の意を表したい。毎年約4百万のドイツ人旅行者が私たちの国に訪れてくれることは、私たちにとってまた別の誇りを感じさせてくれる。これはわが同胞の統合を後押ししているし、またドイツが(訪土観光客者数)一位であることは、我々に将来への確信をより強く持たせてくれている。

■メルケル首相の話

ドイツの首相、アンゲラ・メルケルも、エルドアンに続いて講話を行った。メルケルの話の要旨は以下のようである。「今日、トルコとドイツの50周年を祝うことは私にとって大きな喜びである。そして、あなた方はそのとき築かれた特別な関係が、どれほど力強いものであるかを示してくれている。親愛なるトルコの首相、そしてあなたがたすべての人にあいさつをし、そしてようこそいらっしゃいましたと言いましょう。あなた方がドイツに移住することで、同時にドイツに大きな変化がもたらされました。親愛なるトルコ首相が手にお持ちのものをみましたが、いたって普通の書類のように見える。この書類は私たちの国で様々なものを変化させました。1961年のある時に立ち戻ってみましょう。冷戦の最中、ドイツは分裂し衝突の真っただ中にあった。そのころ、ベルリンの壁は出来たばかりだった。私のような人間は切られたり、はぶられたりした。当時、社会の市場経済はうまくいっており、経済の奇跡によって、雇用のための合意がギリシャとイタリアとの間で結はれた。トルコも協定を申し出て、承認した。その数年間に、ドイツに来た人々の数を把握することは不可能だ。私たちが推測するところでは、1961年から73年までの間におよそ100万人の人々がドイツに入国した。その間にも、1964年の家族統合により、この制度を利用してやってきた者もいた。この時期からドイツに大きなトルコ人社会が形成され始めた。当時の移動は列車によって行われていた。親愛なるトルコ首相よ、当時まだ一時滞在労働者と呼ばれていた人々を受け入れると、さらに以下のことに気づいた。彼らはこの列車での旅がいかに重要であったかを私たちに教えてくれた。当時彼らは駅舎に行ったそうだ。そして何もない線路を見ていたそうだ。みんな家に戻る日のことを待ち望んでいたそうだ。この話は私をこの上なく感動させてくれた。しかし今や多くの人は自分の故郷にいるように感じてくれている。

■ドイツで、彼らは自らの存在意義を示している

それゆえ、あの当時ドイツに来てくれたすべての人に感謝している。この人たちは、ドイツで彼ら自身の存在意義を示している。住み慣れた環境を捨て、家族から離れ、しらない外国に来ることによって、勇敢な一歩を踏み出したのだ。その時移民労働者と呼ばれた人々は、工場や病院でいた。少し前に申し上げたように、こうしたことで祖国トルコへの思慕は大きかった。多くのドイツ人が、外から来た移民とは一線を隔していた、当時のドイツ人はである。しかし、ただ働きに来たのではなく、生きるために人々が来たのであるとすぐに理解された。こうした中で、仕事場や会社で最初の関係が築かれたのだ。ただ、ドイツで長い間過ごすことが必要であった、我が国に留まるためにやってきたという覚悟を培うために。2005年から2010年までの間、私たちは統合のために10億ユーロ以上を使った。

■メスットのゴール

雇用者、新聞記者、スポーツ選手、国会議員、大臣。あなた方すべてが、それぞれ今日良い例となりうる、いや、良い例なのだ。子供たちや若者たち、今日その道を歩もうとしている人々にとって先例となるのです、あなた方は。あなた方はもはやドイツの一部なのだ。そして、伝える必要もないことかもしれないが、メスット・オズィルのシュートには、少なくともあなた方と同じくらい我々も喜びを感じている。

■解決すべき問題もある、「臭いものにはふたをしないこと」が必要だ

問題もあるだろう。それらを無視すべきではない。さもなければ我々の社会でこうした問題に向き合っている人々の信用を失ってしまう。過失という点では、教育の問題がある。学校や学位はドイツで成功するための第一の条件であるということは、すべての人が知っておくべきことである。どんな出自であろうと、これは私たちが主張していることである。ただ、特に移民の家族の子供たちは支援されないといけない。つまり、可能性を提供してあげる必要があるのだ。ここドイツでは、学校教育重視ということが重要となってくる。初めから、教育を受け続けられるということが必要である。学校教育では、上手にドイツ語を話す子供たちは成功することができる。多くの都市には教育ボランティアがたくさんいます。私たちドイツに住むすべての人はこの件に関して責任があるといえる。統合がどのレベルで進んでいるかということは、私が考えるに、我が国すべての将来を決定づけるものとなる。最終的に、理解すべきことがある。それはとても多彩で、多様な声を持つ一つの色である。我々はある共通の土台を必要としている。それは、憲法である。人権の尊重である。これは、私たちの憲法の土台を形成している。私はこの点を強調しながらお話しします。ドイツは、ここに来るすべての人々に、この国でのすべての機会を与えたいと考える。一緒に住むということは、常に何かを受け取り、何かを与えるという問題をはらんでいる。我が国に来る人は皆、どれだけ努力しても、望まなければ成功者になることなどできない。協調がそこになくてはならない。家族の中でも、近所でも、学校でもだ。

■PKK(クルド人労働党)問題に関しても味方だ

私たちの国の関係は、昔からそうであるように、盛んなビジネス関係に依拠している。我が国に移住してきた人たちはこの点で架け橋になる人々だ。いくつかの大きな才能の持ち主らが我が国を捨て、離れていったことを悲しく思う。300万人のトルコ系住民が2か国の間に特別な関係を築きつつある。あなた方の国の運命に私たちも大変関心を示している。私たちは、テロに対する問題、とくにPKK問題に関して、迷いなく断固たる決意をもってあなた方を支援する。私に希望を抱かせてくれた一つの出来事があります。多くの若者がトルコ-ドイツの文化に興味を持ってくれたことです。何世代にもわたって我が国に暮らすすべての人々、敬愛なるタイイプ・エルドアン首相、皆さん私はこうした人々のための連邦政府(首相)なのです、そのことを知ってください。あなた方すべてが同じように幸せになることを願っています」

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( 翻訳者:奥 真裕 )
( 記事ID:24433 )