日本人男性、瓦礫から救出されるも病院で死亡
2011年11月10日付 Hurriyet 紙


11月23日に発生したM.7.2の地震後の救援活動に参加するため、何千キロも遠くからヴァンへやってきた日本人医師(注)のアツシ・ミヤザキさんは、M.5.6で崩壊したバイラム・ホテルの下敷きとなった。瓦礫から運びだされたミヤザキさんは、懸命の救命にもかかわらず助からなかった。

ヴァンで発生したリヒター・マグニチュード5.6の地震で壊れたバイラム・ホテルの瓦礫の下から13時間後に救い出された日本救助隊の医師に対し、25分間心臓マッサージが行われた。しかし、あらゆる努力にもかかわらず、アツシ・ミヤザキさんはなくなった。

ヴァンで11月23日に発生したリヒター・マグニチュードで7.2の地震に襲われたエルジシュ郡とその周辺の村において捜索救助活動を行うためにやってきていた Japon Association for Aid and Relief (AAR) という救援機構で働くユメカ・オオタさん、ミユキ・コンノさん、アツシ・ミヤザキさんのうち、ユメカ・オオタさんは、少し前に日本に帰国していた。活動をもうしばらく続けることを決めたAARチームのミユキ・コンノさんとアツシ・ミヤザキさんは、ヴァンのバイラム・ホテルに宿泊した。昨晩、発生したM.5.6の地震に崩壊したホテルにいて遭遇した日本人チームのミユキ・コンノさんは、約5.5時間後に、開けられたトンネルをつかって無事、救出された。その後の救出活動の結果、13時間後に日本チームのアツシ・ミヤザキさんのもとにも到達した。捜索活動の結果、重傷ながら運び出されたミヤザキさんに対し、医療チームは点滴を施した。また約25分間にわたり心臓マッサージを行った。その後、ミヤザキさんは救急車でヴァン教育研究病院の庭に作られた野外病院に運ばれた。しかし、そこでの治療に応えることのなかったミヤザキさんは、あらゆる努力にもかかわらず、亡くなった。

[訳者注:トルコの報道では亡くなられた宮崎淳さんの職業が医師と報じられている。]

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:24503 )