救出の日本人女性、「パソコンの光で希望をつないだ」
2011年11月10日付 Hurriyet 紙


ヴァンでマグニチュード5.6の地震により倒壊したバイラム・ホテルの瓦礫の下から負傷して救出された、日本の支援団体ボランティアのミユキ・コンナイさんは、「私は暗闇がとても嫌いです。倒壊したホテルの下で開いていたパソコンの光が私の希望を増してくれました」と話した。

エルデミト郡を震源地とするマグニチュード5.6の揺れで倒壊したヴァン市のバイラムホテルの310号室に滞在していたコンナイさんは、約5時間の救助活動ののちに救出され、イペキヨル国立病院で治療を受けた。

コンナイさんは治療後に退院し、県知事府によりゲストハウスに送られ、その後、健康診断のために私立病院に連れて行かれた。近内さんは、病院で新聞記者らの質問に答え、Japon Association For Aid and Relief (ARR)という名前の支援団体で任務にあたっていたと話した。

コンナイさんは、ジュムフリイェト大通りとフェヴジ・チャクマク元帥大通りが交わるところに位置するバイラム・ホテルで滞在していたと述べ、この日も、朝起きていつものようにヴァン市周辺の村へ行き、地震の被災者らの支援活動を行い、夕方5時ごろに滞在先のホテルに戻っていたと話した。

コンナイさんは、友人のアツシ・ミヤザキさんは315号室の部屋に滞在しており、自分は報告書を仕上げるために部屋にこもっていたと述べ、次のように話した。
「報告書の2ページ目を書いているとき揺れが始まりました。突然壁が自分の上にふっててきました。その後、目を開けようとしました。しかし目の上にものが載っていて、なかなか目を開けることができませんでした。左目を開けた時、まわりがとても暗くなっていることがわかりました。私は暗闇がとても嫌いなのです。まわりを見渡したとき、開いていたパソコンの光が目に入りました。これで、救出のための希望がわいてきました。この間、救助に来た隊員の声が聞こえました。私に向かってよびかけました。私も返事をしました。しかし私の声はきこえていないようでした。私のわきには冷蔵庫があって、ドアが開いていました。ここから水をとって、まずうがいをして、次に飲みました。そして、救出されるのを辛抱強く待ちました。」

コンナイさんは瓦礫の中で自分のところまで救助隊がきたのをみてとてもうれしくなったと話し、隊員に友達の宮崎さんが315号室にいると伝えたと述べた。コンナイさんは、今この友人を失ったことで非常に悲しんでいるとし、自身を救ってくれた隊員と、トルコ国民に感謝の言葉をのべた。

コンナイさんは、治療を受けた後、母親と話しをし、心配する必要はないと伝えたという。コンナイさんは地震で携帯電話をなくしてしまったが、病院を訪れたTUSKON社役員のアリ・チチェクサイ氏が家族と話せるように携帯電話をプレゼントした。

■大臣らが訪問

ベシル・アタライ副首相とエネルギー天然資源大臣のタネル・ユルドゥズ大臣は、ヴァンでマグニチュード5.6の地震がおきたあと、倒壊したバイラムホテルの瓦礫の下から負傷して救出された日本の支援団体ボランティアのミユキ・コンナイさんを、診断にきた私立病院で見舞った。アタライ副首相は、「お大事になさってください」と述べ、被災者の近内さんと、通訳を交えて会話した。

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( 翻訳者:畔上曜子 )
( 記事ID:24505 )