近内さんインタビュー、「石のかけらとトルコ語辞書をもって瓦礫からでてきた」
2011年11月11日付 Yeni Safak 紙
治療を受けている病院で自身の救出劇を説明した近内さんは、瓦礫の下で救出を待っている時、小さな石をもって生還したと述べた。近内さんは、「この石のかけらは私とトルコ、そして被災者の人々を結びつけてくれるはずです」と述べた。
ヴァン地震の被災者支援の目的で来た町でM5.6の第二の地震にみまわれ、瓦礫の下に取り残され、5時間後に救出されたミユキ・コンナイ(近内みゆき)さんは、石のかけらをもって生還したと説明した。
近内さんは、治療を受けているアタテゥルク教育研究病院で、瓦礫の下からの救出劇を説明し、M7.2の地震の被災者の支援をするためトルコへ来たと述べた。
近内さんは、ヴァンの地元関係者らと協力して支援を行ったこと、そのおかげで多くの被災者の人々に出会うことができたこと、しかし、先日のM5.6の地震で倒壊したバイラム・ホテルの瓦礫の下敷きになったことを述べた。
近内さんは、「支援するためにトルコへ来たはずでしたが、今では私の方が助けられています。被災者の方々がどのように感じているかがより理解できます。私も一人の被災者になりました。」と述べた。
■石のかけらから勇気をもらった
近内さんは瓦礫の下にいるとき、手に取った小さな石のかけらとともに救助隊の助けを待っていたと説明し、「私の周りには大小様々な大量の石の山がありました。救出されることを確信していました。小さな石のかけらを手に取り、救助隊員が私を見つけてくれるのを待っていました。この石のかけらは、最終的に私をトルコに、トルコ人に、被災者の人々に結びつけてくれるはずです。今後、この石のかけらを常にそばに置いておこうと思います」と述べた。
瓦礫の下にいるとき、トルコ語―日本語辞書にも手が届いたと述べた近内さんは、瓦礫の下からこの辞書と一緒に救出されたので嬉しいですと語った。
近内さんは、ヴァンで行った支援を記した自身のノートを新聞記者らに見せ、救出される際、このノートももっていたと述べた。
■「トルコの人々をとても愛しています」
トルコ語を勉強するために、日本で授業を受けていたことを明らかにした近内さんは、自身を助けてくれた救助隊員とトルコの人々に感謝し、トルコ語で「全てのことに感謝しています。トルコとトルコの人々を心から愛しています」と述べた。
病院の医師長ムラト・ボズクルト教授は、近内さんの様態は良くなってはいるが、大きな心的外傷から、多少の疲労が見受けられると述べた。
近内さんは屈強な精神力をもっていると述べたボズクルト博士教授チーフは、治療計画が立てられており、詳細な検査の後退院することになると語った。
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( 翻訳者:細谷和代 )
( 記事ID:24514 )