戦争遂行を決定するのは敗者である
2011年11月21日『アル=ハヤート』
【ハイサム・フサイン】
実際に戦争の中で生き、戦争を体験した作者の手になる小説の中での戦争は、我々が読んで楽しみ、それらが単に小説という枠を超えないとみなす主題以外の何ものでもない。
我々は、我々の考えの中に、そこに書かれているような戦争の縁辺にある状況や、列挙されている詳細や、とらえられたイメージの中で生きる危険を犯そうとは欲していなかった。
我々はひけらかしてきた(我々の)中立性を強調し、文章の入り口で立ち止まる。そのあと、技巧や、その著者の主題の取り扱い方、主題へのアプローチ方法を選ぶ角度などの中にもぐりこんでいく。我々は、知っているか知らないかという観点から、主題を安全な境界の内(すなわち知っている範囲)か、または遠い所(すなわち知らない部分)に振り分けようとのみする。それぞれの事柄の審判や分析にのめりこまないように(すなわち中立性を失わないために)。一風変った、苦痛を伴う事件から出てくるものは、出来事の自然な成り行きの中にはめ込まれているか、または小説家がそれで奇をてらい、読者を驚かすかどちらかであるということに我々は留意し、求められるユニークさを実現するのである。
作家の多くは戦争を痛みを持って書き、その著作の中で、どのような形態であるにせよ、戦争が再び引き起こされる可能性があることを警告することに努め、また戦争から生じ、戦争が残す悲劇や災難、戦争とは、容易にそれを乗り越えるのは不可能なものであることを思い出させる。というのは、戦争は様々なレベルで分裂や亀裂を残すからである。
戦争や闘争は、それに基づく小説のネタを多く作り出し、背景や様々な観点から取り扱った。あるものは戦争の「軌道」をめぐる事柄や、あるいはその縁辺にある事柄を追う。これは、希望への考察を反映する部分を形成するためであり、同時に、その批判の中に倫理的、人間的義務を盛り込むのである。小説家の戦争への関心は、殺戮を手放しで喜ぶ祝賀への礼儀正しい返答であり、人間性の腐敗、希薄化、下劣さに対する価値を持つ返答あった。戦争についての話題の中で、独裁者に話題が及ぶのは疑いのないことで、小説家の多くが独裁者のことを描写し、彼の動機を世に示し、また彼の気質や狂気を説明したが、話題は多岐にわたる独裁者という役の痛みなのである。
(後略)
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:丸橋遼太 )
( 記事ID:24604 )