Mümtaz'er Türköneコラム:共和国公的イデオロギー、崩壊のとき
2011年11月22日付 Zaman 紙

デルスィムが話題になるたびに吹き荒れる嵐。我々は、この問題をそろそろ別の観点から見なくてはならない。

カメル・ゲンチはどうして議会の厄介者なのか?トゥンジェリは、どうやってトルコで教育水準が最高の県になったのか?非主流のマルクス主義組織がデルスィムでなぜ根付いたのか?トゥンジェリは最近までPKK(クルディスタン労働者党)が入ることのできない唯一の都市であったのに、どうして今日では最悪のテロがそこでおこるのか?芸術や文学においてデルスィム出身者の異例とも言っていいほどの成功の理由はなんなのか?CHP(共和人民党)のヒュセイン・アイギュン議員は、CHPのような政党の中で、紳士的な態度を保ったままでデルスィム虐殺を冷静に取り上げることにどうやって成功したのか?クルチダルオールCHP党首がデルスィム出身者であるゆえに党内の反発をうけることは当然なことなのか?

これらの問いすべての答えはデルスィム虐殺に隠されている。1937年から1938年に、今日のトゥンジェリをはじめとしてシヴァス、エルズィンジャン、エラズー、ビンギョルなどの広い地勢にわたるデルスィムと呼ばれる地域で、約5万人の市民が犠牲になる虐殺が起こった。新しく建設された共和国は、税金や徴兵に従わないこの地域に国家の権威を知らしめるためにある計画を立てていた。小規模な暴動の後、国家は武力を行使し、脅し、血を流させ、この地域に支配権を確立した。

この大惨事を記憶している最後の世代はまだ生きている。私の父はデルスィム虐殺が起こった時9歳で、いまも存命だ。上でデルスィムとデルスィム出身者について我々が問うた質問のどれ一つをとっても、デルスィム虐殺を無視しては答えることはできないであろう。なぜならこれはいまだ開いたままの傷なのだ。上から押せば押すほどに血が流れる。

CHPの「白人トルコ人」(注1)たちを筆頭に、すべてのCHP内の派閥がこの問題は政争のテーマではないと理解する必要がある。この問題に関連して党内派閥闘争を繰り広げることは不道徳である。また、(CHP以外の政治家が)この問題を、CHPを分断し、弱化させる1つの問題として見ることや、党争に含めることも同様である。この問題は政争のテーマとなってはならない。事実、今日までそうならなかった。デルスィム虐殺を、その悲惨さの点で問題としたのは、(作家の)ネジプ・ファズルや(政治家の)イフサン・サブリ・チャーラヤンギルのような、デルスィム出身ではない人々であった。デルスィムの問題を、これまでの権力者の問題だとすることも不可能だ。デルスィムに向き合い、自己批判し、過去を否定せず傷を癒すことが必要である。それを実現せずには、上記の問いへの(「わからない」という)答えを変えることなどできない。

では、障害になっているものはなんだろうか?デルスィム出身者を、クルチダルオールを、公正発展党を、この国の良心をもつすべての心を、この苦しみと恥の下で押しつぶしている障害は何だ?

答えは次のとおりだ。「共和国の公的イデオロギーを変えずには、我々はこの問題を解決することはできない。」我々が現実と向き合い、過去を清算し、ともに健全な将来を築くことを妨げているのは、この公的イデオロギー(注2)だ。

公的イデオロギーに固執した状態で、誰がデルスィム虐殺を認められるというのか?
独立心の強いこの地域を支配下に置くために、トルコ共和国がかつてある計画を企て、小さな暴動を起こさせ、非情にも武力を行使し目標を達成したということを、学校で暗記させられるような公的イデオロギーに固執した状態で、誰が受け入れられるというのか?

虐殺があったことは認めるとしよう。それなら、アタテュルクのような強力な指導者からの指示なしに、これほど広範囲にわたる作戦が実行されたということを証明することはできるのか?セイト・ルザーが、アタテュルクの知らないところで死刑に処されたことを、論証する必要はないのだろうか?さらにいおう。同じ公的イデオロギーの枠組みに留まったまま、それに対する誓いを子どもたちに叫ばせ、繰り返させておいて、クルド問題をどうやって解決するというのだ?

デルスィム虐殺が話題になる度に、公的デオロギーが我々の体をしばる拘束服のように体に張り付いていることを示してはいないだろうか?イデオロギーから離れ、デルスィムで亡くなった人々の目をとおして現行の憲法を考えてみようではないか。

我々は、経験した現実を、そしてとても辛い現実を、限られた想像の産物である狭隘なイデオロギーの中におしこむよう強制されている。もはや真実をごまかすかわりに、この無益なイデオロギーを手放さなければならない。(間もなく訪れる)公的イデオロギーの崩壊のとき、この美しい国のよき人々が、その下敷きになってはならない。公的イデオロギーは、もはやゴミに捨てればいい。ただそれだけのことだ。

訳者注(1)共和国主義を奉じるエリート層をさす。軍人や官僚、司法界に多いとされる。
訳者注(2)ここではアタテュルクを神聖視する共和国イデオロギーを指している。

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( 翻訳者:吉岡春菜 )
( 記事ID:24617 )