クルド語初級講座、活況―ビルギ大、サバンジュ大
2011年11月29日付 Radikal 紙

ビルギ大学、サバンジュ大学の2大学では、2009年に選択制のクルド語講座が開講された。学生の受講の動機は様々であるが、共通する気持ちは「クルド語を学ぶことは我々を分裂などさせない、一つにする」である。

メフメト・アトゥルの歌「Gelawej」と共に始まる授業は、講師ロナイ・オネンさんの心地よい声で読み上げられながらボードに文字が綴られていく。「Dile te」は「あなたの心」、「Rûyê te」は「あなたの顔」、「Porê te」は「あなたの髪」、「Bejna te」は「あなたの体」…。「Spiya berfê ne paqij e. Ne zelal e av, qasê dilê te.」、「清らかでない、白き雪も澄んだ水も、あなたの心ほどには」という意味だ。

ロナイ・オネンさんは、2009年に大学でクルド語の選択授業開講が認められて以来、ビルギ大学でクルド語を教えている。「そろそろ当たり前のことになるべきです…。しかしクルド語はまだひとつのタブーです」とオネンさんは話す。授業のオリエンテーションで学生に「(クルド語を履修したことが)成績証明書に載ると就職の際に問題になることもある、履修しないことです」と言う助手もいるそうだが、授業には毎学期50名前後の学生が登録申請を出す。「授業を取る生徒の中には南東部について研究したり、自分の母語(トルコ語)を押し付けずにクルド人の女の子と喋りたいと思っているトルコ人の学生もいます。最近では『興味があります』といって授業に参加する学生もいます。ほかにも『クルド人の隣人がいて、市場などで彼らが話している内容を理解したい』という学生もいます」。今日の授業のテーマは、クルド語の限定表現と家族関係である。

■2つの親しみのある言葉

ロナイ・オネンさんはもともとは英語教師教育を受けた人物だ。「英語についてはありとあらゆる教材があります。しかしクルド語はいくつかの本があるだけ。その分教師にかかっているのです」と話す。「ここ5年の間、クルド語の歌を聴いたり物語を読むときは、授業のためにノートに記録しています。会話の授業では、演劇も行うし、私が自分で撮ったビデオも鑑賞します」。オネンさんは両親の写真を持ってきて、ボードに系譜を書き始めた。Bavê min (私の父)、xwişka min (私の妹)、meta min (私の伯母さん) 、そしてその間に聞いたことのある2つの単語、kuro lawik(男の子)と書いた。

■ラテン語に続きクルド語

サバンジュ大学言語研究所の2008年のアンケートにおいて、学生たちが最も学びたい言語はラテン語、続いてクルド語であるという結果が出たことから、翌年の前期にクルド語の授業が開講された。講師はシェリフ・デリンジェさんである。毎学期およそ20人の学生が受講する。基礎レベルの学生はトルコ系、また応用レベルの学生は母語で読み書きを学びたいと考えるクルド系の学生が多くを占めている。国外から博士課程を修める、または交換留学で来る留学生もいる。
選択制クルド語講座の開講がどれだけ画期的な一歩であろうと、「新しい教育モデルにおいて、多言語教育の観点から私たちの状況は全く恵まれていない」とシェリフ先生は語る。「インドでは憲法で20の言語が公用語であるとされていますし、パプアニューギニアでは学校で380もの言語が授業で使われています。またエチオピアでは4言語による教育が整備されています。多言語教育の問題社会的平和の後に解決される問題ではなく、むしろ(民族間の)関係を改善するための手法なのです」。

サバンジュ大、ビルギ大の2人のクルド語講師は昨年(合同の)集まりをもった。「『小学校でクルド語を話すと殴られました。だからこの授業は私たちにとって大きな意味があるのです』と話す学生がいれば、『自分の母語を大学の選択科目でしか学べない』という非難もありました」とロナイ先生は話してくれた。「確かに、クルド語の授業が選択できるようになったことは意味のある一歩です。しかし問題の根幹は母語教育です。実施条件は議論され続けていますが…。しかし母語による教育は、国際的にも認められている人権のひとつです。『だめなら仕方ない』で済む問題ではありません。」

■クルド語を学ぶアルメニア人、アノーシュさん:『クルド語を話すと、すべてがよく分かる』

□アノーシュ・スーニーさん(サバンジュ大学トルコ研究科の大学院生)
私はアメリカで生まれ育ったアルメニア人です。母の家族は1907年にヴァンからアメリカに移住しました。父の家族の何人かも、1909年のアダナ事件(3万人規模のアルメニア人大量虐殺が起きたとされる)のあとアメリカに移住しました。
私はフランス語、アルメニア語、アラビア語、ペルシャ語が分かります。サバンジュ大には、トルコ語を学び、大学院教育を受けるために来ました。そしてクルド語が教えられていると知って興味が湧いたのです。この夏は論文のためにエラズーにある古いアルメニア人の村に滞在しました。現在その村にはクルド人とザザ人の人たちが暮らしています。

『Hinami、Xinami』
私の家族は何百年もの間(訳注:誇張表現)ずっと祖国から離れていました。しかしわかったのは、家族は(アメリカで)昔と同じ暮らしを続けていたということです。クルド人のある家庭に泊まったとき、彼らは私たちにイチリ・キョフテやアナルクズル・キョフテ(トルコ南東部などの伝統料理)を作ってくれました。彼らとは私が分かる限り全てクルド語で会話し、それを喜んでくれました。何もかもすっかり身近なものに感じられました。アルメニア語の「Hinami」という単語は舅、姑という意味ですが、クルド語では「Xinami」というのです。

□ギュルフェム・カラタシュさん(ビルギ大学でテレビ報道について学ぶ大学生)
大学の学生の多くは(クルド語の授業が)開講されていることを知りませんし、知ると驚きます。どうしてクルド語を学ぶのかと聞かれた時、私は「報道記者になりたいから」と答えます。この夏に私はディヤルバクルとマルディンに行きましたが、通訳を通して人の声を聴くのは十分ではありません。話された内容をそのまま実感できるために、また敬意を示すためにも、言葉を知ることは不可欠です。わたしはこれをひとつの豊かさと考えています。

□オザン・メルスィンさん(ビルギ大学で国際関係について学ぶ大学生)
私の家族は、マラトゥヤ出身のクルド人です。クルド語を勉強することで私のキャリアとは関係ありません。私にとって感情的な問題なのです。アルメニア語、ラズ語、チェルケズ語も学びたいと思っています。大学では、冗談まじりに「クルド語を勉強してどうする、フランス語の授業に行け、ドイツ語を取れ、時間の無駄遣いをするな」と言ってくる友人もいます。一種の見下しがあります。(しかし)授業にトルコ人の友人がいることは素晴らしいことです。政治的な問題は私たちは気にしません、授業は毎回あっという間に過ぎていきます。

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( 翻訳者:池永大駿 )
( 記事ID:24696 )