Hüseyin Gülerceコラム:アレヴィーはなぜCHPから離れることができないのか?
2011年11月30日付 Zaman 紙

デルスィム論争の最も重要な論点の一つが共和人民党(CHP)とアレヴィーの関係である。エルゲネコン派シンパのコラミストらは次のように問いかける。「デルスィムで虐殺があり、それが一党支配時代のCHPに責任だというなら、なぜあの日以降もアレヴィーはCHPに投票しているのか?」そう、その問いは本質的だ。アレヴィーはなぜCHPから離れることができないのか?

共和国は、アレヴィーにとって失望そのものである。アレヴィーの人々は、共和国の初期からずっと、(デルスィムで)自分らに何がなされるたのか、事の本質が何であったのかをよく知っていた。デルスィム出身の研究者であり作家でもあるジャーフェル・ソルグン氏の『ケマリズムで試されるアレヴィーたち』という著書では、この問題が非常に明白な形で提示されている。アレヴィーは、共和国エリートによって無きものとされたのだ。単一国民という前提のもとに建国された共和国体制において、トルコ人以外の存在は認められないことになる。アレヴィーやクルド人といったものは存在せず、ただトルコ人とスンナ派だけがいるだけである。スンナ派も、国家に属する宗務機関によって管理される。恐怖は、体制側の最大の武器である。国家分裂の恐怖、シャリーアの恐怖、共産主義の恐怖といった「山」が待ち受けている。怖がらせながら対立をつくりあげる、その後も「分裂の動きがある、祖国が失われようとしている」という口実でクーデターに続く、クーデター・・・

アレヴィーは、そう、共和国エリートによって無きものとされた。単に無きものとされただけでは留まらず、弾圧により、反乱を口実にした制圧により、虐殺により、そして同化政策によって絶えてなくなることが望まれた。1925年に承認された「テッケ・ザーヴィエ(修道場)等閉鎖法」の第一段階の犠牲者はアレヴィーである。アレヴィー信仰において不可欠な重要性を表す「デデ、ババ、ピール、セイト(サイイド)、チェレビ」といった宗教的な称号が禁止された。「世俗的共和国が実現し、アレヴィーは平安を迎えた。そのためアレヴィーはCHPを支持しているのだ」という主張は詭弁に過ぎない。

アレヴィーが脅されたのは、共和国の最初の数年間だけではない。1993年7月2日のスィヴァスにおけるマドゥマク・ホテル虐殺事件やマラシュ事件、(イスタンブルの)ガーズィー地区事件はすべて、その深層に国家の挑発が潜んでいる。マドゥマク虐殺事件から6ヶ月後には、トルコ社会において「シャリーアの危険性」への恐怖と不安のムードがつくられようとする中、ウール・ムムジュ氏が殺害された。ウール・ムムジュ氏の葬儀では、何十万の人々が「忌まわしきシャリーア」というスローガンを叫んだが、それも理由のないことではなかった。その後続々と、世俗的な有名な知識人らが殺害されたのだ。彼らはアレヴィーに対して以下のように言った。「最も危ないのはシャリーアの危険である。シャリーアがもたらされれば、おまえたちは家族もろとも殺され、ルーツをあばかれる・・・」。今日「エルゲネコン」と呼ばれる闇の組織が混とんと混乱が欲したとき、最初に頭に浮かぶのは、アレヴィーとスンニーの対立を煽り、それを利用することだった世俗主義と反世俗主義の分裂において、アレヴィーは体制擁護派になると考えられた。

なぜそれならアレヴィーは、エルゲネコン派を擁護し、スィルヴリ拘置所にいる逮捕者らを支援し、裁判の最も重要な容疑者らを国会議員にして司法プロセスである裁判をその本質から歪曲させようとしているCHPから縁を切れないのか?(国民を見下す)庇護者気どりの被害者、犠牲者であるにもかかわらず、庇護意識を助長する政治理解から、どうして抜け出せないのか。

なぜならアレヴィーはその髄にまで恐怖心をたたきこまれているからだ。マドゥマクにて(警備していた)軍の目前で生きながら焼かれるとは何か、これをアレヴィーは知っている・・・1925年以来恐怖心をたたきこまれている者らには、たった一つの道しか残されていなかった。軍隊とCHPとケマリズム・・・右派政党は彼らにとっていかなる時も吉兆(希望)とはならなかった。前に進むしか道はなく、CHPへと向かうしかなかった。そう、恐怖心が彼らに寄る辺となる港を一つしか残さなかったのだ。ジャーフェル・ソルグンが強調したように、生きるために、権力者や支配者の側の人間であるように見られることを選んだのだ・・・。

しかし、いまや彼らは新しい分岐点にいる。エルゲネコン裁判によって流出したクーデター計画において、アレヴィー指導者らに対する暗殺計画が準備されていたことがわかり、またデルスィム事件に関するCHPの態度により、彼らは今までとは違う思いを抱くようになった。

彼らは2つの問いへの答えを探すだろう。1つ目は、CHPは一党支配時代との間に太い線を引き、デルスィム事件と向き合うことができるだろうか?2つ目は、公正発展党(AKP)は彼らに対して、彼らが求める「信頼」を真摯にもたらすことができるだろうか?

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:24731 )