Şahin Alpayコラム:歴史となぜ向き合うのか?
2011年11月29日付 Zaman 紙

まず最初に、間違いの訂正と謝罪をしたい。
前回のコラムにてトゥンジェリ/デルスィムの有権者が「複数政党制に移行してから現在に至るまで行なわれたすべての選挙にて、ほぼ毎回、共和人民党(CHP)に投票してきた」と書いたが、これは正確ではなかった。正確にいえば、以下のようになる。複数政党制に移行してこのかた、デルスィムの有権者は今まで行なわれた15回の総選挙の内10回の総選挙で、CHPあるいはCHP系統の政党に最大数の投票をした。その結果CHPは当該地域にて第一党、あるいは第二党となった。1999年や2002年、そして2007年の選挙では、最も多くの票が公約の柱にクルド問題を掲げる政党に投票された。2011年の選挙では、56%の得票が再びCHPに向けられたが、これにはデルスィム出身のアレヴィー・クルドであるケマル・クルチダルオール氏がCHP党首に選ばれていたことが貢献した。

しかし、選挙結果をこう訂正したところで、前回のコラムで私が述べた2番目の問い、つまり1936年から1939年の間に起きた虐殺や移住政策にも関わらず、なぜCHPが常にデルスィムの人々にとって第一党となりえたのかという問いは解決しない。我が友であるバスクン・オラン氏も含め、この問題において貴重な分析を行っているジャフェル・ソルグン氏の主張を見てみると(『ケマリズムで試されるアレヴィーたち Alevilerin Kemalizm'le İmtihanı』、ティマシュ出版社、2011年4月)、この問題を「ストックホルム症候群」であるとする傾向がある。ストックホルム症候群とは心理学において、「人質が自分自身を人質にした者たちに対して、彼らを擁護するほどに共感を抱くこと」という意味を持つ概念である。これは私がストックホルムに滞在している間の1973年に起きた事件、つまり強盗団が町の中心にある銀行の職員らを5日間にわたって人質にとった事件で観察された心理現象に由来している。心理学者によれば、人質の約4人に1人にこの症状が見られるという。現在では政治的な記事において、非常に拡大解釈された形で、圧力や抑圧を受けた犠牲者が、自身に圧力や抑圧を加えた者たちに対して親近感を抱くという意味で用いられている。

しかし、私は、トルコ人あるいはクルド人のアレヴィーがしばしばこの政党の創設者であるムスタファ・ケマル・アタテュルクを神聖な人物であるとみなすほどにCHPに親近感を抱くことを、心理的病気の一症状であるとは思わない。その反対に、これには非常に合理主義的かつ賢い理由があると考えている。アレヴィーはオスマン帝国時代に、スルタンが同時にカリフ、つまりスンナ派イスラム世界の宗教的リーダーを担った16世紀以来、その信仰故に様々な圧力や虐殺にさらされてきた。かつての経験が生んだ恐怖や疑惑は、アレヴィーらの間で非常に長い間、おそらく1990年代に入るまでアイデンティティを隠す必要性を生み出した。アレヴィーが票の大部分をCHPへ投票する理由は、この政党をスンナ派マジョリティが占める政府に対するバランス要因とみていたことにある。CHPにデルスィム虐殺事件の責任があることに気付いていても;CHPが代表する権威主義的な世俗主義の理解が、アレヴィー・アイデンティティが今なお公式には認められていないことに責任があることを知っていても;「深層国家」あるいはエルゲネコン的な気質が、「シャリーアの危機(訳者注:イスラム主義者がイスラム国家建設を目指しているという危機意識)」を利用して、アレヴィーを「高まるイスラム派」に対して動員するという戦略をとっていることが次第に認識されてきているにも関わらず…

おそらく、アレヴィーは、エルドアン首相がアラブの春を迎えた国々に提言した、国家と宗教が分離され、国家がすべての信仰に平等な距離を保つというタイプの、リベラルな世俗的体制が体制が定着しないうちは、スンナ派マジョリティの圧力や差別に対してCHPを均衡要因とみなし続けるであろう。

私が読者からもらったメッセージをよむと、国家の名の下に行われたデルスィムに関するエルドアン首相の謝罪から生まれる3番目の問いが再び頭によぎる。「歴史となぜ向き合うのか?どの社会にも歴史の暗黒のページがあるのではないか?これらのことを忘れるのではなく思い出すことは、塞がった傷口を再び開き、敵対や争いへの道を開くのではないだろうか?」という問いだ。私の答えは次の通りだ。教訓を得る、歴史における暗黒のページを繰り返さないこと、塞がらない傷口を開かせないこと、争いの終結、そして恒久的な平和を手にするために、われわれは歴史を、すべての真実とともに学ばなくてはならない。それらを忘れてはならない。デルスィムやその他の虐殺事件の原因は、単一文化主義の政策であった。虐殺にまで至らせた単一文化主義の政策を放棄しなければ、われわれはクルドの人々と平和を築くことはできず、トルコをわれわれが望むような強い国にすることもできない。

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:24732 )