ファラーハトピーシェ議員「これからのイギリスはこれまで以上に危険だ」
2011年12月02日付 Jam-e Jam 紙
【ジャーメ・ジャム・オンライン】国会の国家安全保障外交政策委員会の委員を務める
ファラーハトピーシェ議員は、イギリス政府はイランに対する陰謀を企てていると指摘した上で、これからのイギリスはこれまで以上に危険な存在となるだろうとの認識を示した。
ヘシュマトッラー・ファラーハトピーシェ博士は本日(2日金曜日)、ジャーメ・ジャム・オンライン記者とのインタビューの中で、「イギリスの戦略はイランの未来にとって、イランの資源を略奪しようとしてきた彼らのこれまでの政策以上に危険なものだ」と述べた。
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国会の外交政策部会の部会長を務める同氏は、「イギリスとの関係レベルの引き下げに関する法律が国会で可決されたことを受け、イギリスはEUとイランの関係断絶についての議論を〔EU諸国に〕提起し、さらにもっと話を大きくして、問題を国連安保理にも提起しようとしている」と指摘した。
学生らの行動と駐イラン大使らのお祭り騒ぎ
同氏はイギリス大使館前で行ったイラン人学生らの行動と、一部のヨーロッパ諸国の大使たちが〔学生らによって襲撃された〕ゴルハク庭園に集まった行為〔※〕について、「学生たちの行動は、学生らしい反抑圧の精神によって動機付けられた、自然なものである。もちろん、我が国の外務省はこの学生たちの行動を批判し、警察による処罰も行われた」と述べつつ、次のように付け加えた。「〔これに対して〕一部のヨーロッパ諸国の大使たちが〔ゴルハク庭園で〕お祭り騒ぎを始めたことは、イラン・イスラーム共和国に不利な雰囲気を作り上げ、またイランに不利な主張をするための一連の資料を集めて、それをEU及び国連安保理に提出することを狙ったものに他ならない」。
※訳注:25カ国の駐イラン大使が、学生の襲撃を受けたゴルハク庭園ならびに英大使館の視察を行ったことを指す。大使らは当初、外交警察によってゴルハク庭園への入場が阻止されたが、その後視察が許可された。なお視察にはヨーロッパ諸国だけでなく、メキシコやトルコの大使も含まれていた。
同氏はその上で、ヨーロッパ諸国の大使たちの行動は外交上の慣例に反したものだと指摘し、さらに次のように語った。
我々は外務省にも不満がある。一部のヨーロッパ諸国の大使たちが大使館業務外のことをする許可を、彼らに与えるべきではなかったのである。もし彼らがこのようなことをしたいのであれば、〔ゴルハク庭園の前に集まって、そこで入場を交渉するのではなく、前もって〕我が国の外務省の同意を得て、その上で〔視察を〕するべきだったのだ。このようなことから、外務省が〔大使たちに後追い的に視察の許可を与えるという〕受け身的な対応をしたことについては、〔適切なことだったかどうか〕検討に値すると言えるだろう。
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ファラーハトピーシェ氏はさらに、次のように指摘した。
イギリスはいつも、イランから出ていく時には、そのコストを我が国にとって高いものにしようと企ててきた。石油国有化運動、バーレーンのイランからの分離〔※〕、緊張を生むようなやり方での隣国との国境線画定などがその例だ。背教者サルマーン・ラシュディーをめぐる問題でも、彼らはこの問題を全ヨーロッパに関連づけようとした。
※訳注:バーレーンはかつてイランを支配していたサファヴィー朝の版図に含まれたことがあったことから、20世紀に入り、イランはしばしばバーレーンがイランの領土であると主張してきた。こうした経緯から、バーレーンがイギリスから1971年に独立したことを、「バーレーンのイランからの分離」と呼んでいるものと思われる。
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「イギリスの犯罪行為を証明する証拠もある」
ファラーハトピーシェ博士はさらに、イギリスの手はイラン人の若者たちの血で汚れていると指摘した上で、「イギリスはイランに対して植民地主義的な政策を行使しただけでなく、タンゲスターンの勇士たち〔※〕にはじまり、聖なる防衛〔=イラン・イラク戦争〕の時の少年〔兵〕に至るまで、独立を希求するイラン人勇者たちの血で自らの手を汚してきた」と述べた。
※訳注:タンゲスターンはイラン南部ペルシア湾岸のブーシェフル州にある地名。第一次世界大戦の時にイランに上陸したイギリス軍とタンゲスターン住民の間で戦闘が生じたことを指す。
同氏はその上で、「複数のイギリス企業が一部ヨーロッパ企業とともに、『聖なる防衛』の時代にサッダーム体制を化学兵器で武装させ、結果3万8千人もの殉教者と、8万人以上の化学兵器による傷痍者を生んだことを示す証拠が、国会の国家安全保障外交政策委員会にはある」とも語った。
イランをバラバラにしようとする計画も
同議員はさらに、「イランへの影響力が減じたイギリスは、我が国を永遠に不安定化させようと企てている。そのために彼らは、イランを10の小国に分断するイラン分離計画を立てている。これらの小国に、彼らの植民地主義的利益を保護させようという狙いだ」と指摘した。
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( 翻訳者:ペルシア語記事翻訳班 )
( 記事ID:24737 )