アーヤトッラー・アフマド・ハータミー「イギリスは懲らしめてやる必要があった」
2011年12月03日付 Jam-e Jam 紙

 テヘラン金曜礼拝導師のアフマド・ハータミー師は、イギリスとの関係引き下げに関する法案を可決した国会の最近の行動について、価値が高く、称賛に値するとの認識を示した。同師はその上で、「イギリスは懲らしめてやる必要があった。国会が可決した法案は、そうした〔イギリスに対する〕愛すべき懲罰だったのだ」と述べた。

 イラン国営放送報道センターが伝えたところによると、アーヤトッラー・ハータミーは「イギリスは過去100年間にわたって、イスラーム的イランに対して裏切り行為を続けてきた」と指摘した上で、「ガージャール朝〔1796-1925年〕の時代、イギリスはロイター利権やタバコ利権などの恥ずべき利権によって、イランをイギリスの植民地、奴隷にしようと企んでいた。しかしハージ・モハンマド・アリー・キャニーやミールザー・シーラーズィーといった傑出したウラマーたちの賢明さにより、イギリスの企みは失敗に終わった」と語った。

※訳注:ロイター利権は、イギリス国籍のユリウス・ロイター(ロイター通信の創業者)が1872年にイラン・ガージャール朝から獲得した利権のこと。鉄道敷設から税関の運営に至るまで、ありとあらゆる領域にわたる空前絶後の内容だったため、国内外からの反対を呼び、最終的には撤回された。またタバコ利権とは、1890年にイギリス人投機家にタバコの栽培・販売・輸出に至るまでの利権を譲り渡す内容の利権。イラン国内で商人たちなどから大きな反対運動が生じ、当時イラクにいたシーア派の宗教指導者シーラーズィー師が喫煙を禁じるファトワーを出して、ついには利権が撤回されたことで有名。

 同師はさらに、次のように続けた。「パフラヴィー朝〔1925-1979年〕という暗黒の時代が始まるにあたっても、イギリスはレザー・シャーという人物を〔自らの手下としてイランに〕送りこんできた。イギリスは彼の消費期限が切れたとみるや、彼を解任し、モハンマド・レザーを彼の後継者に据えた〔※1〕。そしてモルダード月28日〔8月19日〕のクーデターで、彼〔という荷物〕を〔イラン〕国民に背負わせたのである〔※2〕」。

※訳注1:第二次世界大戦でイギリスをはじめとする連合国がイランを占領、ナチス・ドイツに接近したレザー・シャーを追い出し、その息子のモハンマド・レザーをシャーに据えたことを指す。

※訳注2:1951年、イランの当時の首相モサッデグはイギリスに牛耳られていたイランの石油産業を国有化、これに反発するイギリスがイランの共産化を恐れたアメリカとともに、1953年8月19日に反モサッデグ・クーデターを決行、これを機に当時国外に逃れていたモハンマド・レザー・シャーがイランに帰国した事実を指す。

 アーヤトッラー・ハータミーはさらに、「〔79年の〕革命後も、彼らはイスラーム的イランに敵対するべく、できることなら、何でもしてきた」と強調、その上で次のように述べた。「88年の内乱〔=2009年大統領選後の騒乱〕でイギリス政府は舞台監督として振る舞った。当時の情報相〔=エジェイー〕が指摘していたように、一部の選挙本部〔=ムーサヴィー選挙事務所〕は100回以上もイギリス大使館と連絡を取っていた。実際、〔両者の間には〕定期便が往復していたのだ。そして彼らは、人民に対して、可能なことなら何でも仕掛けてきたのである」。

 同師はさらに、「こうしたイギリスの行動の最新のものが、イラン中央銀行に対する一方的制裁だった。もちろん、こんな制裁などほとんど影響はない。心理戦としての影響があるだけだ。というのも、われわれはアメリカやイギリスと大した関係などもっていないからだ」と述べた上で、「公平に言っても、このような裏切り行為に手を染めてきたイギリスには、『アメリカに死を』の次に『イギリスに死を』と言われるだけの資格があるのである」と明言した。

 同師は、「国連安保理はこれ以上、自らの名誉を貶めるべきではない」と指摘した上で、「〔在イラン英大使館襲撃事件で〕安保理各国は一致して、対イラン声明を採択したが、これはイギリスのボロ綱をつたって井戸に降りるような行為だ」と述べ、さらに次のように語った。「ヨーロッパ各国に対して、我々は次のように指摘しよう。米英は〔イランとの関係断絶に伴う〕コストをあなた方にも頭割りで負担させようとしているのだ、と。イギリスに対する我が国民の憎しみを、彼らはあなた方にも割り振ろうとしているのである。もし少しでも理性というものがあるのなら、自分の綱をイギリスのボロ綱に結わえ付けるようなことはしないはずだ」。

 同師はその上で、「イギリスはイラン、そしてイスラーム世界で恥をさらしてきた。彼らは、ガージャール朝時代であれ、革命後であれ、いつも〔イラン国民によって〕平手打ちを受けてきた。今回国会が可決した法案は、まさにこうした『平手打ち』の一つと言えるものだった。そして国会は、イラン国民〔が選んだ議会〕として相応しい存在となっている」と付け加えた。

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( 翻訳者:ペルシア語記事翻訳班 )
( 記事ID:24740 )