クルチダルオールの24時間
2011年12月04日付 Radikal 紙
前列右がケマル・クルチダルオール氏
前列右がケマル・クルチダルオール氏

つまりクルチダルオール党首は、規律正しいということだ。毎朝7時半に起きる。好きな食べ物は豆のピラフ。最近はスィリヴリについて書かれたものを読んでいる。

ほとんど1ヶ月が経った。(何についてかと言えば、)トゥンジェリ県選出の国会議員、ヒュセイン・アイギュン氏が口火を切った、「デルスィム(問題)」について話しているのだ。最初の一撃は共和人民党(CHP)から繰り出されたが、エルドアン首相が(サッカー風に言えば、デルスィムという)ボールに鋭く反応し、CHP内の反対勢力もこれをチャンスととらえていることは、CHPのケマル・クルチダルオール党首を困難に陥れた。その政治人生において、おそらく今最も困難な状況にいるケマル氏は、一日を、24時間をどのように過ごしているのか?何を食べ、何を飲み、何を読んでいるのか?
以下がCHP党首の一日、習慣、そして最近の活動である。

■ 7時半起床

つまりクルチダルオール党首は、規律正しいということだ。やはり元公務員である。人生を仕事中心で生きてきた。就寝時間は0時から1時の間で、何時に寝ようが、起きるのは7時半である。

■ 昼食はチーズサンド

妻のセルヴィ夫人と朝食をとる。朝一番のニュースに耳を傾ける。8時半に家を出る。最初に向かうのは党本部の党首室だ。仕事でスケジュールが一杯の一日が始まる。新聞をよく読む。ニュースとコラムをしっかり読む。その後、会談、面会と予定が続く。昼食は大抵チーズサンドで済ます。時々本部にある食堂のものを食べる。夕食の時間があれば家に帰る。

■ お気に入りは豆のピラフ

妻のセルヴィ夫人は、CHPではなくケマル氏の栄養管理のために精を出している。イチジク、アーモンド、干しブドウ、ハシバミが入った「4種のスナック」を必ず購入する。ケマル氏は、「ケバブ」ではなく「煮込み料理」を好む政治家の一人だ。好きな料理は、彼が手本としているビュレント・エジェヴィト氏と同じで、豆ピラフである。

■ ドラマではなく討論番組

ケマル氏はアンカラで妻とともに暮らしている。娘たちはイスタンブルとアンタリヤに、息子は海外にいる。最近家族がそろったのは、選挙のときである。家で過ごす夜は、ニュースと政治討論番組を見逃さない。流行しているテレビドラマは全く見ていない。買い物は主に妻のセルヴィ夫人が街の市場でしている。

■ 党で映画、劇

ケマル氏は芸術好きとして知られている。最近見た映画はクルド問題を違う角度から描写した「二つの言語、一つのスーツケース」である。彼はこの映画を党本部で鑑賞した。その前にはヌリ・ビルゲ・ジェイラン氏の「あるときアナトリアで」という映画を見るために映画館に足を運んだ。ケマル氏は、党のビルで映画と劇を上演する慣例をつくった。トゥンジャイ・オズィナル氏の「目覚めろ、目覚めろ、ガーズィ・ケマル」という名前の作品がCHPで、クルチダルオール氏と他の一部の党員の前で上演されたこともある。

■ 絵画好き

ケマル氏の一番の「趣味」は絵画である。彼の家には多くの絵画がある。絵画好きなのである。しかし最近は全く絵を買うことが出来なかった。一番最近手に入れた作品は、ギュズィン・ディノ氏が自身に、パリを訪問した際に贈ったアビディン・ディノ氏の鉛筆画である。

■ フェネルバフチェのサポーターだが、熱狂的なサポーターではない

クルチダルオール氏も、エルドアン首相のようにフェネルバフチェのサポーターで、試合を時々見る。最近は党のアバント・キャンプでトルコ対ドイツの代表戦を観戦したという。

■ スィリヴリに関して書かれたものを読む

ケマル氏が最近読んでいる本は何であろうか?この質問の答えは、CHPのエルゲネコン裁判とスィリヴリへの関心を表している。ケマル氏は今、Oda TV裁判によってスィリヴリで拘留されている新聞記者のミュイェッセル・ユルドゥズ氏の、「蛇の冬日」という本を読んでいる。最近読み終えた本は、これもスィリヴリで拘留されている元警察庁情報局長のハネフィ・アヴジュ氏の「金角湾に住むシモンたち」という本だそうだ。クルチダルオール氏は、労働銀行出版が出す本も好んで読んでいる。

■ 公正発展党には二人のデルスィム出身者がいる

デルスィムでは1960年から今まで、風はいつも「左」から吹いていた。公正発展党が過去3回の選挙で国会議員を出せなかった唯一の県がトゥンジェリ県である。それでも公正発展党の国会議員名簿には二人のデルスィム出身者がいる。一人はスンナ派で、もう一人はアレヴィーである。二人ともイスタンブル県選出の国会議員である。ムスタファ・アタシュ氏は、チェミシュゲゼキの生まれである。高等イスラーム専門学校(現在のマルマラ大学神学部)を卒業した。公正発展党では現在「唯一」のアレヴィーの国会議員であるイブラヒム・イイト氏は、社会民主人民党(SHP)出身である。SHPで郡支部長を務めた。CHPと民主左派党(DSP)から国会議員候補となった。エルトゥールル・ギュナイ氏とともに2007年に公正発展党に入ったイイト氏の家系は、「先祖代々」アレヴィーである。先祖のセイイド・ジェマル・スルタンは1300年代にデルスィムに来たそうだ。デルスィム事件の目的が、「アレヴィーをスンナ化し、クルド人をトルコ人化する計画」だとしたイイト氏からすれば、そこで起こったことは完全に虐殺である。首相の謝罪がタブーを打ち破ったと主張するイイト氏は、「デルスィムの人たちは、アレヴィーであることを昔から言わなかった。工場や学校では秘密にした。公正発展党とともに多くのことが変わった」と話す。

■ 最もキャリアのあるデルスィム出身者

デルスィム出身として知られる政治家の中で最もキャリアがあるのは中道右派の「イスメト・アビ(兄さん)」ことイスメト・セズギン氏である。彼はスレイマン・デミレル氏と半世紀にわたって行動を共にした。トルコ大国民議会(TBMM)の議長として、国の二番目の椅子に君臨した。この「イスメト・アビ」がデルスィム出身であることは何年も経ってから明らかになった。内務大臣であった時期に、「私もそこの出身だ」と述べたと言われるセズギン氏のデルスィムへの関心と、最近の(デルスィムに関する)議論への見解が私は気になった。「私はアイドゥン出身だ」という言葉で話し始めたセズギン氏は、1938年の強制移住によって彼の家がアイドゥンに移ったわけではないと述べた。「19世紀に、母方が軍人としてその地域にいたようだ。その後、アイドゥンに移り住んだらしい」「デルスィムで虐殺は行われなかった。反乱はあった」と話すセズギン氏は、ハサン・イッゼッティン・ディナモ氏の、「神聖な平和」という名前の本で真実が説明されていると述べた。

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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:24756 )