アボタバード文書:ビン・ラーディン、殺害前はアル=カーイダの作戦に関わらず
2011年12月08日付 al-Quds al-Arabi 紙
アボタバード文書:ビン・ラーディン、殺害前はアル=カーイダの作戦に関わらず
2011年12月8日『クドゥス・アラビー』
【ワシントン:AFP】
アメリカ当局担当者は、水曜日(7日)、パキスタン、アボタバードのビン・ラーディンの住居から見つかった文書から、殺害以前の一定期間、ビン・ラーディンはアル=カーイダの作戦のいかなる指揮も執っていなかったことが明らかになった、と報じた。
この文書の調査を許可された当局担当者は、絶対的に匿名を希望し、「ビン・ラーディンはアル=カーイダの運営にはかなり長い間加わっていなかった」と述べた。
アメリカの特殊部隊は、約200点の日記、ノートのほか、コンピューター、メモリーフラッシュをビン・ラーディンの住居から押収した。ビン・ラーディンはこの住居に家族とともに暮らしていたが、5月初頭にここで殺害された。
情報筋は、AFPに、「押収した文書の大半は、『我々はアメリカへの攻撃を継続せねばならない』、であるとか、『ソマリアの若者は信用できるか?』などといった、一般的なスタンスを表現したものであった。」と述べた。
また、ビン・ラーディンは、青い表紙の小さな日記帳に、2010年2月の日付で、偵察機への襲撃で死亡した指揮者に代わる、ある指揮者の昇格を疑問視する日記を書いていた。しかし、アル=カーイダの作戦運営に関わるものは何も含まれていない、と付け加えた。
アメリカ海軍の特殊部隊の運んだ物品の三分の一は私物であり、たとえば、ビン・ラーディンの妻の一人が、彼の娘の一人に夫を見つけるための努力などを物語るものに過ぎない、と述べた。
「いずれにせよ、安全面の理由で、使者を受け入れたことは月に一、二度しかない。このような状況でネットワークを指揮できたと、あなた方はどうして考えるのだろうか。」と付け加えた。
そして、「アル=カーイダの作戦の指揮をとり、日常任務を仕切っていた実際の指揮者はアティーヤ・アブドゥル・ラフマーンである。彼の死がアメリカの勝利につながったが、組織における損失は測りしれない。」と述べた。
ミスラータ市の名をとってミスラーティーと呼ばれていたこのリビア人は、8月22日、パキスタン北西部の部族地帯、ワジーリスタンにて、アメリカの無人機による爆撃により死亡した。
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( 翻訳者:山崎やよい )
( 記事ID:24787 )