Derya Sazakコラム:イラク戦争
2011年12月17日付 Milliyet 紙

アメリカのイラク戦争は終結した!
オバマ大統領は米国の「イラク介入(の是非)」は歴史が判断することになるだろうとのべ、「勿論、イラクは申し分の無い状態では無い。しかし、我々は撤退後に、主権をもち、安定した、(国民に)選ばれた政府の存在する一つの国を残した」と語った。

イラクの占領はブッシュ前大統領を担ぎあげた「ネオコン」の計画であった。
9月11日の襲撃で、ペンタゴンですでに準備されていたイラク計画が実現にうつされた。アメリカ合衆国政府は、おそらく史上はじめて国連安全保障理事会へ「事実無根の」報告書を提出し、国際社会にサダム政権の手に「大量破壊兵器」が存在することを信じさせた。

そして2003年の侵攻の下準備をした。こうして1990年にイラクのクウェート侵攻を終わらせる為に勃発した「湾岸戦争」は結末を迎えた。1991年から2003年の12年間は、イラクに対する厳しい経済制裁が実施されてきた。「サダム政権」 はその期間の末期には実は内部崩壊していたのだ。「アメリカの介入」により国を1970年代から指揮してきたバース党の独裁に終止符が打たれた。

サダムの指導がシリアでアサド政権が今日見せているような抵抗を、「適切な時期」にあきらめ、民主化への道を開いていたならばイラク国民は、これほどの苦難を生きることなく、「石油成金」の」イラクが廃墟になることはなかっただろう。

イラクで起きたことは、「戦争は殺戮である」 という言葉のまさに証明である。

占領の流血のバランスシートをつくってみると、最後の9年間についてだけでも、10万人以上の市民が殺され、戦争によるアメリカ合衆国への負担は10億ドルに達すると計上されている。ベトナム戦争と比較すると米軍の死者数はより少ない。しかし、イラクに関連する数値は、この災難の規模が完全に反映されているものではないと思う。イラクで犠牲になった人の数は100万人にのぼるともいわれているのである。

この国は、8年間ものイラン・イラク戦争を計算にいれると、残念ながら1980年代以降ずっと戦争下にあることになる。1990年代にサダムがクルド人を抑圧するために着手した「ハラブジャの虐殺」もこの一覧に加えなければならない。

国の石油収入、インフラ、人的資源は過去30年間で修復不可能な傷を受けた。国民は貧しくなった。

今日(オバマ演説にあるように)「主権と安定性」を有するといわれるイラクだが、「一つの国」といえるかどうかには議論の余地がある。国は事実上3つに分割されている!

北部はクルド人、南部はシーア派に支配されている。戦争の敗者たちが、バクダートで政権を分担しているようにみえても、実際には、(バグダードは)スンナ派アラブ人のものである。この力の均衡は民族と宗派間の紛争の引き金になりえる。

イラクの政治と民主主義の再構築のために何十年もかかるだろう。実際のところ、石油収入を「公共の福祉」の為の使いさえすれば、イラク人の悲惨な運命を変えることができるはずだ。しかし、米軍が撤退した後に生れる「治安維持の必要性」 を理由に、イラク政府は数十億ドルを新たな軍備に注ぐことになるだろう。

イラク国民はこの戦争の敗者である!
シリア人達は隣国イラクから教訓を学ばなければならない。
アメリカ合衆国は、(イラクに対しておこなったのに)似たシナリオをシリアとイランで実行するかもしれない。

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:24906 )