6万4千人がトルコに、8万人がヨーロッパに住む町―ゾングルダク・デヴレク郡
2012年01月07日付 Zaman 紙


1950年代以降、ゾングルダク・デヴレク郡からヨーロッパへ移住した人口は、その地に暮らす6万4千人を超えたことが分かった。

1961年にトルコとドイツの間で署名されたトルコ-ドイツ雇用双務協定ののち急速化したヨーロッパへの移住で、国外に暮らすデヴレク郡の出稼ぎ労働者の数は8万人を超えたことが分かった。

ほとんどすべての家庭に出稼ぎ労働者がいるデヴレク郡では、国外移住者が村に建てた家に冬は誰も住まないため、閉められたよろい戸とカーテンだけでなく、ドアの前に置かれたままの電気料金請求書も注意を引く。

デヴレク郡知事のフセイン・オネル氏は、アナトリア通信社の記者に行った説明で、この地域に住んでいる人は通常、鉱山労働者であるため、労働移住のはじまった1950年代からヨーロッパへ働きに出ていったと述べた。

デヴレク郡は国外に最も多くの出稼ぎ労働者を送った郡の一つと述べるオネル氏は、以下のように述べた:

「ドイツのゾングルダク出身者協会の関係者から手に入れた情報によると、現在デヴレク郡出身者はドイツには6万5千人、その上ヨーロッパ全体には8万人以上が住んでいる。ドイツに住んでいる人口は現在のデヴレク郡の人口とちょうど同じくらいである。出稼ぎ労働者たちの子どもは3カ月の夏休みをデヴレク郡で過ごしている。これも地域の社会・商業活動を活発にしている。しかも、ゾングルダク空港を利用する出稼ぎ労働者は空港の利用向上にも貢献している。」

■最も有名なメスート・オズィル選手

オネル郡知事は、少し前にデヴレク郡を訪れたレアル・マドリードのトルコ系サッカー選手、メスート・オズィル選手が郡の名前を広めてくれたと述べ、「メスートは、私たちの国の代表である。およそ1年前に祖母を亡くした時にはデヴレク郡には帰ってこられなかったが、2011年の12月には彼の父親の故郷であるこの地を訪ねた。この地域からの出稼ぎ労働者たちの中で最も有名なレアル・マドリードのスタープレーヤー、メスート・オズィル選手を誇りに思っている」と述べた。

メスート・オズィル選手が所属するレアル・マドリードのフロレンティーノ・ペレズ会長、ホセ・モウリーニョ監督、クリスティアーノ・ロナウド選手、ハミト・アルトゥントプ選手、ヌーリ・シャーヒン選手にデヴレク郡で生産された杖をお土産に持って帰ったと話すオネル氏は、スタープレーヤーが、(デヴレク製の)杖のヨーロッパにおけるイメージ向上の助けになっていることに喜びを感じていると述べた。

オズィル選手の父の故郷、ハシュルオール村ハサン・サル村長も、オズィル選手が村を訪れた後、デヴレク郡の名がより話題に上るようになったと述べ、「スタープレーヤーは私たちの子どもだ。地域の宣伝の助けにもなっている」と話した。

多数の出稼ぎ労働者がいるサブンラル村ゲリシュ地区に暮らすドゥルムシュ・ブイルクさんも、35戸あるうちの、たったの7戸しか村に定住していないと述べ、ほかの家主は国外で暮らし、夏季の間だけ、休暇のために村へ帰ってくるのだと話した。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:藤井彩香 )
( 記事ID:25103 )