ギリシャ正教学校、48年ぶりに再開―ギョクチェアダ
2012年01月11日付 Milliyet 紙


ギョクチェアダ(島)で1964年に政府によって閉鎖されたギリシャ正教徒の学校が、半世紀ぶりにようやく許可された。国民教育省は、島のルム(トルコに住むギリシャ系住民)の新しい小学校を開校したいという要望を受け入れた。ギリシャに住むいくつかの家族は、戻ってくることも考えているようだ。

昨日、トルコのギリシャ系コミュニティによい知らせが入った。何年もの間、学生数が少ないとして学校を閉鎖せざるを得なかったコミュニティが、ギョクチェアダで小学校を開校する要求が認められた。国民教育省関係者は、マイノリティー・ワクフの代表であるラキ・ヴィンガス氏にたいして、ギョクチェアダで学校を開校するため、必要な取り組みがなされる予定であると伝えた。このようにして、48年ぶりにギリシャ正教徒の学校の開校が実現した。

ラキ・ヴィンガス氏はミッリイェト紙に向けて行った会見で、今回の学校開校の承認は口頭で伝えられたこと、今後必要な取り組みをギョクチェアダの人々が行っていくと語った。たった180から200人のルームしか残っていないギョクチェアダでは学生の数は非常に少なくなることが予想される。ヴィンガス氏は「学生が10人であっても、これは非常に重要なことだ、なぜなら将来への希望にもつながるからだ」と語った。

ギョクチェアダの学校が開校されることは、象徴的な意味でも重要である。1964年にギリシャ系住民らがイスメト・イノニュの出した命令によりトルコから追放された際に、ギョクチェアダにある学校も閉鎖された。今、学校の再開が許可されるということは、重要な一歩であるとみなされる。さらに、学校の開校は世界中に散らばったギョクチェアダ出身者が島に戻ることを容易にするであろう。

■島に戻るための指標

ギリシャにあるギョクチェアダ出身者の団体が、昨日この学校開校に関するニュースが流れたのちに行った会見では、「過去の大きな過ちが部分的ではあるが償われている。イスタンブルとギリシャにすむギョクチェアダ出身者にとって、島に戻る可能性が生まれている」と述べられた。ミッリイェト紙のインタビューに答えたギョクチェアダ出身者団体の会長であるコスタス・フリストフォリディス氏も、「学校は、島に戻りたいと望んでいる家族が、決断するのに影響を及ぼすこととなろう」と語った。イスタンブルに住むいくつかの家族と、アテネに住む3,4つの家族が、子供たちが新しい学校で教育を受けることを条件として、島に戻る準備を進めているらしい。

フリストフォリディス氏は、現在法的手続きが開始され、ギョクチェアダのギリシャ系住民の代表がチャナッカレ知事に、学校再開の要求を正式に申請することになると語った。新たなギリシャ系の学校は、おそらくゼイティンリキョイまたはテペキョイにあるギリシャ系住民が所持する土地で活動再開することになる」。

■2500人のギリシャ系市民が残っている

・ローザンヌ条約でギリシャ系市民にはマイノリティのステータスが与えられた。その結果、自身の学校を守り、管理し、運営することを許可された。
・9月6‐7日事件(訳者註:1955年、アタテュルクの生家が破壊されたとの情報をもとに、ギリシャ系市民らが襲撃された事件)の後、5万人以上のギリシャ系市民がトルコを捨てざるを得ない状況になった。
・1964年にキプロス事件を口実に、ギリシャ系市民は命令によりギリシャに追放された。
・1936年にはトルコに130,5000人のギリシャ系市民が生活していたにもかかわらず、今日では2500人以下しか残っていない。
・ギョクチェアダには1960年に5487人のギリシャ系市民が暮らしていた。今日では、180人しか残っていない。
・イスタンブルに3つのギリシャ正教徒の高校(リセ)、2つの初等教育学校があり、合計220人のギリシャ系市民の子供たちが学んでいる。

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( 翻訳者:奥 真裕 )
( 記事ID:25156 )