ハマース政治局長、追放の11年間を経てヨルダン再訪
2012年01月30日付 Al-Nahar 紙

■ マシュアル政治局長、ヨルダンから追放された歳月に幕
■ 「ヨルダンが代替の祖国になることを我々は拒否する」

2012年1月30日『アン=ナハール』

【アンマン:本紙】

それはドーハに追放されダマスカスに移転してから11年以上を経て実現した、謎をはらんだヨルダンへの帰還だ。イスラーム抵抗運動「ハマース」のハーリド・ミシュアル政治局長は、パレスチナの指導者としてアンマンに戻ったのだろうか。それとも憲法に反して祖国から追放されたヨルダンの一国民として戻ったのだろうか。

このような疑問には「満足の目にはあらゆる欠点が見えない」というわけで、誰も答えない。しかしミシュアル氏の迎えられ方や、ヨルダンのアブドゥッラー2世ビン・アル=フセイン国王との会談の後の発言は、ミシュアル氏の指導者としての立場ならではのものだ。

ミシュアル氏は昨日、ハマースの幹部一行とともに、カタールの仲介によってヨルダン国王アブドゥッラー2世と会見した。10年以上前にカタールの仲介によってドーハへ追放された時と全く同じであった。

カタールのタミーム・ビン・ハマド・アール・サーニー皇太子に伴われてマシュアル氏は、フンマル地区の王宮執務室で国王と会見した。会見は温和な雰囲気の中で、国王の主催により賓客2人と随行団を歓迎する午餐会をはさんで行われた。

ミシュアル氏は機会あるごとに「つれない態度」のヨルダン政府に対して友好の糸を断ち切らないよう努めてきたが、あらためてハマースがヨルダンの安全と安定に配慮する意向を明らかにするとともに、「祖国の代替地」を設定する構想や、パレスチナ人を祖国以外の土地に定住させる全ての計画を拒否する立場を強調した。

(後略)

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( 翻訳者:南・西アジア地域言語論(アラビア語メディア翻訳) )
( 記事ID:25444 )