反乱で処刑のシェイフ・サイードの曾孫、墓の場所を明かす
2012年02月06日付 Radikal 紙
共和国体制への反乱を起こしたことにより、ディヤルバクルで処刑されたシェイフ・サイードの曾孫で弁護士のアブドルラヒム・フラトさんは、公開されていないシェイフの埋葬地がディヤルバクルの将校クラブの前にあると主張した。
弁護士のフラトさんは(処刑後)87年間、秘密とされている曾祖父の埋葬場所を政府が明らかにすることを求めた。エルズルム弁護士会所属の弁護士で あるアブドルラヒム・フラトさんは、共和国初期に鎮圧された反乱の首謀者として、友人47人とともに処刑されたシェイフ・サイードの孫であるメフメト・スドック・フラトの息子である。アブドルラヒム・フラトさんは、シェイフ・サイードが埋葬された場所について様々な憶測があると語った。彼は、以下のように述べた。
「私の祖父シェイフ・セレハッティンは教養のある人でした。彼がファーティハ(コーランの開扉の章)を読むある場所がありました。ドイツ病院として使われていたディヤルバクルの将校クラブに隣接する地点です。もともと、そこはディヤルバクルの市民の墓地であったところです。国の接収の結果、一部の区画が居住地とすることが可能になりました。目下、シェイフ・サイードとその友人のための埋葬場所はまだ空き地です。一部に将校クラブの庭の壁があります。ある場所に私たちが埋葬地だと思う場所があります。これは誰もが知っている伝承です。ディヤルバクルで誰に尋ねてもシェイフとその友人の埋葬場所がどこか誰でも知っています。」
弁護士のアブドルラヒム・フラトさんは、シェイフ・サイードはディヤルバクルの独立法廷で裁かれ、死刑判決が出て、刑が執行されたと語る。 フラトさんは、政府はシェイフ・サイードの埋葬地を知っているにも関わらず隠匿し続けているが、遺族は少なくとも死者たちの墓前に参りたいと望んでいると語った。彼は、ディヤルバクルで今もおこなわれている発掘作業で発見された骨はシェイフ・サイードとその友人のものではなかったとし、以下のように語った。
「シェイフ・サイードは独立法廷で裁かれました。シェイフ・サイードとその友人は全員服を着たまま埋葬されました。この裁判所の記録(の内容)を知る必要があります。どのような発言がおこなわれたのでしょうか。一般市民の間ではいくつかの憶測があります。シェイフ・サイードの運動はイギリスが扇動したとの説。異色のイスラーム主義者あるいはクルド人の運動であったとの説。それらを明らかにするため、独立法廷の記録を公開する必要があります。約87年が過ぎました。トルコは民主主義国家です。人々は権利を行使することができます。47人の同志がいます。私たちは、墓前でファーティハを読めるその場所を探しています。」
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( 翻訳者:岸田圭司 )
( 記事ID:25464 )