タブレット端末配布のファーティフ計画、始動
2012年02月09日付 Milliyet 紙

信仰に重きを置く世代を育成するという議論に、私たちは捉われてしまった。私たちみんなを興奮させるべきファーティフ計画には、十分な興味を抱くことができなかった。さらに有難いことには、国民教育省も社会を十分に巻き込むことができなかった。率直に言えば説明しきれなかった。

しかし、信じがたい一歩が投じられようとしている。
理由を説明したい。

世界はもはや全体でテクノロジーと情報の時代に入っている。テクノロジーを産み出せる社会や、情報で競争に入っていくことのできる国が、どこであろうと、リードするようになる。

豊かさは、もはや石油や天然ガスの所有者や重工業の事業主の手には渡らなくなるだろう。彼らは2番手に落ちる。もはやより多くの兵士を所有する軍隊ではなく、テクノロジーが最も強力な軍隊を所有する国の意見に耳が傾けられることになるだろう。しかし、テクノロジーを駆使することはその使い方を知る兵士を必 要とする。現在の私たちの国の兵士は、20年後には、与えられた先端テクノロジーを必要とする銃さえ使いこなすことはできないだろう。

要するに、テクノロジーを知り、産み出せる人々がトップリーグでプレーすることができる。残された人々はというと、地を這いずり回ることになる。これほどに単純なことだ。世界はこのような地点にいる。

トルコは、未来の世代を、サービスセクター、伝統的な農業や酪農、自動車や家電製品の生産に取り残される世代として育て続けていく-つまり、私たちの世代でそうであったように、黒板、一国民意識、その歴史-地理といった進歩のないサイクルに置き去りにするか、あるいは時代に飛び込むことに挑戦するかのところだった。

そして、後者を選んだ。

トルコは現在の時代遅れの教育システムや手法を使って時代に飛び込むことはできないはずだった。未来の世代は召使(であることを飛び越えて)向こう側へ渡ることはできないはずだった。ちっぽけで、内向きで、世界から切り離された国になるはずだった。

ファーティフ計画は、こうした観点から私を興奮させる。

皆さんには考えられるだろうか。アナトリアの僻地の村で生活し、自分を忘れられた存在として考え、世界と全く関わりのない若い世代が初めてコンピューター によって、”タブレット”によって、知り合いになる。インターネットを使うことを学ぶ。世界に開かれるのだ。希望するものを学ぶことができるのだ。”Enter”ボタンが何かを知らない何百万人という人はいなくなり、代わりにテクノロジーを駆使することを知っている何百万人という人が現れる。

4年後には1700万人の学生がテクノロジーと出会う。

もちろん一方ではこうした教育の中身を充実させることが残っているから、次の一歩はこの点であるべきだ。望むなら"現代的で信仰厚く"なれるし、"現代的で無信仰"にもなれる。時代に追いつけば十分だ。そうでなければ、私たちはとけてなくなる。これが理由で私はファーティフ計画を称賛している。

これで興奮しないのなら、一体何があなたを興奮させられるだろうか?

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( 翻訳者:倉本さをり )
( 記事ID:25503 )